私が好きな楽曲「空の茜 空の蒼」 -それは私がありたいラブライバー像-

 皆様こんにちは。あに丸です。

 突然ですが、皆様は志方あきこ」さん(以下、志方さん)という歌手をご存知でしょうか。って、ほとんどの方は知らないですよね。この方は私が高校生の頃から好きな歌手でして、今までリリースされたCDは概ね買っていたりします。

 志方さんはと多重録音や様々な言語を駆使した楽曲を持ち味にしていまして、民族的だったり、童謡のようだったりと多種多様な音楽を提供し続けておられます。活動は同人とメジャーの両方で行っていて、同人ですとギリシャ神話の9人の文芸の女神「Musa(ムーサ、英語読みだとMuse(ミューズ)となる)」をテーマにしたアルバムや、和テイストの楽曲を集めたアルバムを出していたりします。また、メジャーですとアニメ版「うみねこのなく頃に」のOPである「片翼の鳥」やアニメ版「暁のヨナ」のEDである「暁」と言った楽曲を提供していたりします。

 

 ちょっとした説明をした所で本題に入りましょう。今回紹介したい楽曲空の茜 空の蒼は2005年に発売された志方さんのメジャーデビューアルバム「Navigatoria(ナビガトリア)」に収録されている楽曲でして、作詞は工藤順子さんが担当しており、作曲と歌唱を志方さんが担当しています。あらかじめ言っておきますが、決してオタクの事を歌った楽曲ではありません。なのですが、この曲を聴くと「私はこういうラブライバーでありたい」と思うのです。ですので、この曲の歌詞の一部(引用の許容範囲を鑑みて全ての歌詞を載せるのは避けます)を紹介すると共に、私の抱く綺麗事について話したいと思います。

 

回り道して 迷子の日は

顔上げると 夕暮れ

 

空の茜 空の蒼

作詞 工藤順子

 

という歌詞で始まるこの歌は学校が舞台のようです。「放課後の鉄棒」「アルコールランプ」といった何処か懐かしさを感じる語句が出てきます。卒業式でしょうか、友達が転校したのでしょうか。この歌の主人公の心情を語る歌詞はどこか寂しげです。どうも、「君」と呼ばれる誰かとの別れが訪れたようです。そんな「君」に対して主人公は次のような言葉を送ります。それが一番のサビです。

 

変わり続けてゆく 君を責めたりしないよ

走り続ける風のように もっと輝いていて

 

空の茜 空の蒼

作詞 工藤順子

 

 この「変わり続けてゆく」という語句。まさにラブライブ!プロジェクトを表している語句ですよね。実際、μ'sからAqoursに世代交代して、様々なことが変わりました。それも、劇的に。当然、驚いた方は多くいると思いますし、好みに合わなくなることもあったのだろうと考えます。大きすぎる変化に戸惑ったり、悲しくなったり、怒りを覚えたり、色んな感情があるのだと思います

 ただ、その変化はきっと、ラブライブ!がさらに先に進むために必要だったもの。そして、プロジェクトを動かしている方々が悩みに悩み抜き、考えに考え抜いて、実行することを決断したもの。だからこそ、例え私が期待していたのと違う変化が今後起こったとしても、それを責めたくはないですし、風のように走っていくラブライブ!が輝き続けることを願っていたいのです。これが私がありたいラブライバーの一つの姿です。

 

 二番に移りましょう。舞台はやはり学校のようです。主人公はあまりにも早く過ぎてしまった「君」との時間を切なく思っているようです。それは「いつだって足りない 二人の時間(とき)」という語句に現れています。そんな中で主人公は理科教室のガラス窓を見ます。そこから見える青空は歪んでいました。涙をためているのかもしれません。そんな状態で主人公は「君」に言葉を送ります。それが二番のサビです。

 

変わり続けてゆく 君を遠くで見てるよ

走り続ける風に吹かれ 歩いてるよ

 

空の茜 空の蒼

作詞 工藤順子

 そして、歌の終幕にかけて主人公は自らの進み方を語ります。

ずっとこのまま 回り道して

ずっとこのまま 迷子のまま

もっとこのまま 光る風に追い越されながら

歩くよ このまま

 

空の茜 空の蒼

作詞 工藤順子

 

 これらの歌詞は私がありたいと願う「将来のラブライバー像」だったりします。先述の通り、ラブライブ!プロジェクトは急速に劇的に変化するものです。当然、将来的に様々な理由により付いて行けなくなる可能性は大いにあるでしょう。しかしながら、付いて行けなくなる理由となった大きな変化は、おそらくこのプロジェクトに必要となったもの。だからこそ、付いて行けなくなったのなら、私はラブライブ!が輝き続けてくれることを願って笑顔で置いて行かれたいのです。そして、遠くからその輝きを見ていたいのです

 それは切ない別れと言えるものかもしれません。でも、大好きなラブライブ!です。その別れが、変化してしまったプロジェクトへの絶望だったり、輝きを引き継いだ新しいキャストさんへの嫉妬だったり、変化を決断した運営さんへの憎しみなんて悲しすぎます。だからこそ、その切ない別れのときは笑顔でいたい。そう思います

 

 そして、人間の人生なんて一筋縄ではいきません。良くも悪くも回り道をするでしょう。進むべき道が分からなくて迷子になるときもあるでしょう。それでも、ラブライブ!を含む自分が好きである、もしくは好きだった何か」という光る風に追い越されながら、自分の歩けるスピードで歩いていく。そうするしかないのではないでしょうか。

 

 そんなことを考えながら、私は今日も社畜ラブライバーをやっています。そろそろブレードにAボタンの位置が分かるシールを貼らないと…。

 

 と、言うわけで自分で読んでも実にクサいブログを示させていただきます。ご拝読、ありがとうございました。

 

 

 

 

追伸

 志方あきこさんの楽曲に「透明ノスタルジアというものがあります。この楽曲にラブライブ!っぽさを感じるか否かは個人差があると思いますが、とりあえずこちらも一度聴いて頂きたい楽曲です。優しい、とにかく優しい。是非、ご拝聴を…。

 

 

 

我がμ'sic Forever! ~FINALから2年のこの日に想いを語ろう~

 皆様こんにちは。あに丸です。本日は2018年3月31日、読むタイミングによっては2018年4月1日かもしれません。そう、μ's FINAL LOVE LIVE! ~μ'sic Forever~から丸2年です。早いですね。光陰ラブアローシュートの如しですね。で、この度は下記に引用しました生春さん主催の企画に賛同しまして、μ'sへの想いを私なりに語ってみようということで書いております。

 

 

 私がμ'sと出会ったのは2013年1月、アニメ1期が放送された時でした。当時は社会人1年目で社有独身寮を離れて生まれて初めての1人暮らしを始めたばかりの時でした。寒いし、まずくない程度の飯しか作れないし、寮生活より圧倒的に金がかかるしで非常に不安の多い時期だったのです。そんなときにアニメの中の彼女たちは私の心に光明を照らしてくれる存在として私の前に現れました。

 この9人の個性的で魅力的な少女たちが織り成す物語は私を鼓舞し、活力を与えてくれたのです。しかも放送は日曜の夜、仕事のスタートとなる月曜日の前の晩です。通常ならサザエさん症候群にどっぷりと浸かっているところですが、就寝する前の時間に夢に向かって全力で突き進む彼女たちを拝むことで不思議と前向きになれたのを今でも覚えています。正にススメ→トゥモロウですね。11話から12話の展開では非常にハラハラさせられましたが、13話にてμ'sは新しくSTART:DASH!!を決めました。いやはや。本当に全力で駆け抜けていた輝きの1クールでした。

 アニメ1期を視聴し終えて、晴れて私はラブライブ!、そしてμ'sにドはまり、CDを買い集めて、グッズを買い漁ってライブに行って…と、なりそうなものですが、ならなかったのです。今でも失敗したなあ…と思っているのですが、このときは1つの良アニメとして処理してしまったのです。普通の人よりはアニメを見る方だったので、アニメイト等に立ち寄った時にちょっと気になったグッズを少々買ったりはしていたのですが、それ位しかしていませんでした(最もグッズに手を出すこと自体かなり新鮮だったんですがね)。当然、μ's4thライブが大雪の中で行われたという伝説など、知る由もありません。

 時は流れて、2014年4月。アニメ2期の放送が開始されます。廃校阻止を達成した音之木坂にて穂乃果が生徒会長になるというビックリから物語はスタートしました。この物語は1期よりも加速度的に輝きを増していっていたなと感じます。彼女たちは次から次へとユメノトビラを開けていき、その軌跡の中で数多くの奇跡を起こしていくのです。9話~10話では前回の優勝者A-RISEを制して決勝進出を決めるという熱い展開が待っていました。皆様が涙したであろう伝説の11話、私も例に漏れずボロ泣きでしたよ。そして12話で見事第2回ラブライブ!優勝を果たします。滾りますよね…本当に。そして、13話で3年生の卒業式を迎えます。これもまた感動ものなのですよ。泣くしかない。

 13話の最後は校門の前、3年生が旅立つ時が来ます。お別れの時ですね。これにてアニメにおけるμ'sの物語は幕を閉じたのです。と、ならないのが凄い。突如花陽の携帯電話に連絡が入り、一同が部室まで駆けて戻って行く所で2期はお開きとなります。そして、劇場版へと舞台は移っていくのです。

 さあ、アニメ2期は凄すぎた。ラブライバーが激増する最大のきっかけとなっただけはあります。私もBDを買うようになり、チケット争奪戦へと出陣する…ってなりそうじゃないですか。自分でも何それ?イミワカンナイと言いたくなるんですけど、ならないのですよ。ここでもさらに強化された「良アニメ」として処理してしまったんですよ。2014年7月に長らく使っていたガラケーをやめスマホに替えたのをきっかけにスクフェスは始めるんですか、未だラブライブ!が画期的な2.5次元コンテンツであることを理解しておりません。「何でやねん?!」って聞きたくなりますよね、私も「何でやろなあ…」となるのです

 さて、こうなるといつドはまりしたのかが問題になりますが、日付は明確です。2015年1月31日土曜日、すなわち「μ's Go→Go! LoveLive!2015 ~Dream Sensation!~」のDAY1が開催された日であります。と言っても、上記のような状態なので現地のチケットなど持っているわけがありません。この日がμ'sのライブがあるという情報をどういうわけか入手することが出来た私が、どういう偶然なのかLVの当日券があると知り、調度良いことに東京に出る用事があったが故に「どんなものなのかな?試しに行ってみるか…」という考えに至り、LVを拝みに行くことになったのです。今思えば奇跡だなあと思います。この日までTwitterのフォロワーさんの中でラブライバーである人は0人でしたからね

 で、映画館でライブの映像を見始めた後が凄かった。アニメに出てきた衣装で、アニメでやっていたようなパフォーマンスが行われているのです。キンブレがあると良いという情報も得ていたので当日アキバのドンキで購入していったのですが、光る棒を持って応援するという行為が、恐ろしいほどに面白い!それまで座ってゆったりと音楽を聴くタイプの公演にしか行ったことが無かった私にとっとは物凄く新鮮でした。「何だこの胸の中に湧き上がってくるものはッ…!私の中で何かが起ころうとしているッ!」と言いたくなるような気分になったのです。そして、3次元のμ'sを見ていると、言語化することが難しいのですが、心を強力に引っ張られる感覚を覚えました。正に魅了されるという表現が適しているでしょう。観たことのない世界を知ることが出来た私は、体感したことのない充足感に満たされながら帰路についたことを今でも覚えています。

 

 これにて私も晴れて「ドはまり」致します。すぐに第1弾のアルバムを購入しましたし、程なくして出た第2弾アルバムも特装限定版を予約して購入します。1回だけですがファンミにも行くことが叶いました。赴いたのは私の故郷、横浜での公演でした。生で観るライブの興奮は今でも覚えています。トークパートもとても楽しめました。キャストさんがくじで当たったキャラクターになり、お題に沿った会話をするというコーナーがあったのですが、南條さんがことりちゃんの役を引き当ててしまい「これはやばいな…」と呟き、声のチューニングをしていたのを鮮明に覚えています。「声優さんにとってことりちゃんの声は出しにくいんだなあ…」と理解した瞬間でありましたね。(ことりちゃんの声を当然のように出せる内田さんって何者ですか…(敬意を払っています))

 2015年6月には万を持して劇場版が公開されました。ここまで物語を美しく完結させることが出来るのか!と猛烈に感動しましたね。そして忘れてはいけないのが劇場版最後の挿入歌「」です。μ'sの物語を過不足なく表現し、かつメンバーの名前が散りばめられた「正に神がかった」歌詞、それは美しい音楽と共に自然と心にストンと落ちてきます。こんなの泣かないわけないじゃないですか!強力すぎます。結局この映画は劇場で13回観たと思います。劇場での視聴回数が次に多い「パシフィック・リム」でも3回ですから私の半生の中では圧倒的です。定期的に行われていた発声可能上映にも何度か参加しました。皆で画面の中のμ'sを応援するのは本当に楽しかったです。本当に。

 そして、2015年12月の特番でμ'sのワンマンライブが2016年3月31日及び4月1日の東京ドーム公演でファイナルとなることが発表されました。これは大きな衝撃でしたが、嘆いていても仕方がありません。チケット争奪戦に挑みました。結果としてはBD先行、HP先行、一般販売、機材席・完全見切れ席抽選1次、2次、完全見切れ席最終の全てで敗北です。悔しさで寝付けなくなったりもしました。これもまた私の半生で初めての経験です。自分が理解している以上にμ'sが好きだったのだなあ、と今は思います。

 2016年3月31日木曜日が遂に来ました。午前中は私が2016年3月30日水曜日にやらかした【実にくだらない確認ミス】(強調したいわけではないのですが、自分への戒めのために修飾しています)のために出勤することとなり、昼休みに入ると同時に会社を出て急いでLV開場へと向かいました。場所は東宝シネマズ西新井。そこは、私が5thのLVを見た場所でした。午後4時となり公演が始まります。画面に映る東京ドームはとんでもなく大きく、本当に凄いところまで来たものだなあと、圧倒されたのを今でも覚えています。セットリストは「僕らのLIVE 君とのLIFE」から始まり、アニメ化前の名曲やアニメ挿入歌のメドレー、劇場版の曲やユニット曲と素晴らしい名曲の数々が機関銃の如く打ち出されてきます。5時間感情を揺さぶられっぱなしです。ブログを書く人間なら明瞭な言葉で説明すべきなのでしょうが、このときは素晴らしい!としか言えませんでした。最後は劇場版最後の挿入歌で多くのファンにとってμ'sのフィナーレを飾る楽曲「」です。驚いたのは劇場版で出てきた形のステージが画面の中の東京ドームに体現していたことです。ここまでやるからラブライブ!なんだなァッ!と敬意を表したくなりました

 翌日2016年4月1日金曜日は私はドームで物販に並んでいました。これがまた長蛇の列で、ファンの数の多さに改めて驚愕することとなりました。そこで見ず知らずのファンの方と少しお話をさせて頂きました。確か「μ'sって本当に凄いですよね。この後に続くAqoursはかなりしんどいと思いますよ。」という旨の内容だったと思います。今思えば幾らか滑稽な会話だったかもしれません。この会話の数年以内に「この心配が不要であったこと」が分かり、かつAqoursから自分の人生における大きな気付きを得ることになるのですから。こんな思い違いをしてしまう程にμ'sというギリシャ神話の女神の名を冠したユニットの功績はとてつもなく巨大だったのです

 物販を終え、一通りの写真撮影や現地に入る方々が企画していた寄せ書き企画に参加させて頂いたのち、LVの会場である横浜のムービルに移動しました。午後4時になり公演がスタートします。この日は正真正銘の千秋楽です。より簡単に泣く状況になっています。最初の内田さんの挨拶に、幕間のインタビュー、終盤の楠田さんの挨拶は特に大泣きしたことを覚えています。4月1日は前日以上に気分が高揚していた面もあったので、応援はより熱が入りました。夏色えがおで1,2,Jump!」とか「PSYCHIC FIRE」とか「No brand girls」とかは特に盛り上がるのですよ。

 そんな素敵なライブもいつかはお開きの時がやって参ります。「Snow halation」や「MOMENT RING」といった曲を経て最後はDAY1と同じく、「」が披露されます。しかしながら、DAY1とは意味が異なります。これは正真正銘のフィナーレなのです。合唱する声もより大きくなっていました。そして、楽曲が終わり、花形のステージは前方に向かって進んでいきます。そこではinstrumental版がBGMとして流されていたのですが、そこでもファンの皆様は合唱していました。私も歌っていました。ステージの上ではキャストさん9人…いやキャラとキャストさんを含めた18人と言うべきでしょうか、μ'sの皆様が輪となり肩を抱き合っていました。歌いながらただただ泣きました。サビの最後にさしかかり、そこに会した一同の声が揃います。

 

今が最高!

 

と。μ'sの皆様が退いた後もファンからのμ'sコールが響き渡っていました。こうして、μ's FINAL LOVE LIVE! ~μ'sic Forever~は幕を閉じたのです。

 

 これが私のμ'sについての思い出だったりします。本当に新しい世界を見せてもらえましたし、貴重な経験を色々させて頂きました。感謝しかありません。μ'sから頂いたものは他にもあります。

 例えば、自分の誕生日は少し楽しみになりました。実を言うと自分の誕生日はそこまで好きではなかったのです。家の方針もあってか、クラスのみんなが当然のようにプレゼントを貰っているのに我が家だけ無い、なんてこともありましたし。人気者でもなかったので、友達から祝ってもらうなんてことは、まずありませんでした。高校に入ってからは私の感覚からすればより悲惨でした。私は【典型的な進学校の落ちこぼれ】だったので、そんな高校生活は【端的に言って無様としか言えない青春】だったのです。で、高校生なので当然在学中に18歳を迎えます。18歳と言えば本国では様々な制限が緩和される歳なので多少は盛り上がりそうなものですが、私はと言えばいつものように楽しそうな高校生カップルを死んだ魚のような目で見送りながら列車を降り、乗り換え改札を通過したところで「あ、俺今日で18じゃん」となります。私の18歳の誕生日はこれで以上です。当時の私にはお似合いですが、情けないですね。で、20歳を超えれば誕生日なんて老化していくことを認識するイベントです。面白いもんじゃない。

 ですが、そんな状況はラブライブ!に出会って変わりました。ご存知の方もいるかもしれませんが、私の誕生日は4月19日、そう私の推しであり、μ'sの作曲担当である西木野真姫ちゃんと同じ日なのです。誕生日がどんどんオッサンに近づく日であることは変わりませんが、それでも推しと同じ日というのは気分が高揚しないわけがありません。おかげ様で誕生日を大分前向きに迎えられるようになりました。しかも、ラブライブ!を応援するようになってからtwitterラブライバーのフォロワーさんが大分増えました。そして、誕生日を祝っていただけるようになりました。私の誕生日は更に素晴らしいものに変わります。感謝しかありません

 現在のラブライブ!の主流はAqoursになっており、私も物凄く推しているのですが、そんなAqoursと出会えたのもμ'sからラブライブ!を知ることが出来たからこそです。ライブの楽しみ方はμ'sの時代に学んだことが多く活きていますし、多くのファンの方が時に笑い時に嘆くチケット争奪戦もμ'sFINALでの完敗の経験から、大分落ち着いた心境で臨めるようになりました。「人事を尽くして天命を待つのみだ」とどっしりと構えられるようになったのです。小さな事かもしれませんが、私は非常に助かっています。(まあ、Aqours1stは何故か両日現地参戦をBD1次で自力で勝ち取るという暴挙を達成し、逆にポルポルパニックに陥ったわけですが…)

 そして、大事なのはFINALから2年たった今でもその楽曲を聴けば純粋に「やっぱり良い曲だな~」と思え、心に光明がもたらされることです。本当にμ'sの曲って色褪せないんですよ。さらに、その名曲たちを聴けば2次元や3次元のμ'sの行動が思い出されるのです。そうすれば傷ついた体でも勇気を貰えますし、私が愛する漫画の名言である「真実から出た『誠の行動』は決して滅びはしない」という言葉を強く感じることが出来ますこれこそが「我がμ'sic Forever!」なのですッ!

 

 2次元のμ'sである、高坂穂乃果ちゃん、絢瀬絵里ちゃん、南ことりちゃん、園田海未ちゃん、星空凛ちゃん、西木野真姫ちゃん、東條希ちゃん、小泉花陽ちゃん、矢澤にこちゃん。

 3次元のμ'sである、新田恵海さん、南條愛乃さん、内田彩さん、三森すずこさん、飯田里穂さん、Pileさん、楠田亜衣奈さん、久保ユリカさん、徳井青空さん。

この18人のμ'sの皆様に簡単ですが言葉を贈らせていただきたく思います。

 

μ'sの皆様!多くの経験活力勇気感動を提供して頂きまして、誠にありがとうございましたッ!そして、もう一つ言わせてくださいッ!

「これからはもっとよろしくね」

 

私の本ブログは以上です!ご拝読ありがとうございました。で、せっかくですから皆様ご唱和下さいッ!

 

が最高!μ'sic Forever!

 

 

 

ラブライブ!は人間讃歌! ~輝く太陽と黄金の風~

 皆様いかがお過ごしでしょうか。あに丸です。

 この度は私が好きな「ラブライブ!」について、どうしても語りたいことが出来たので、ブログにしてみました。よろしくお願いいたします。

 さて、今回このブログの内容はラブライブ!」と、また別の私が好きなものである「ジョジョの奇妙な冒険」に通じるところがあるッ!ラブライブ!サンシャイン!!」と私が最も好きな第五部「黄金の風」は特にだッ!ということです。また、通じるところがある事を書く過程でそれぞれの魅力や作品への想いが伝えられたら良いなと思っております。長文になりますが、お付き合いお願いいたしますッ!(なお、説明の都合上ジョジョの奇妙な冒険・第五部の大きなネタバレが含まれます。予めご了承ください。)

 

目次は以下の通りです。

 

 

 

それでは始めます。

 

 1.少年と少女のあこがれ -輝きたい!-

 ジョジョの奇妙な冒険の第5部の主人公は「ジョルノ・ジョバァーナ」は「ギャング・スター」に憧れます。一方、Aqoursのリーダーである「高海千歌」は「スクールアイドル」に憧れます。両者は全く性質の違うものに憧れるのですが、その憧れる過程には似ている所があるのです。

 

 ここで、ジョルノの経歴を説明します。

 ジョルノの出生は極めて特殊で、彼の血縁上の父親は100年以上も前の19世紀に吸血鬼になった男「ディオ・ブランドー」です。吸血鬼であるディオにとって本来人間の女性は血を奪うための食料でしかないのですが、興味からか人間の女性との間に4人の子供を設けました。ジョルノは4人の内の1人である「汐華 初流乃(しおばな はるの)」として生を受けます。また、ディオがスタンド(ジョジョの奇妙な冒険における超能力の呼称)を持っていたことで、彼も後に「ゴールド・エクスペリエンス(黄金体験)」と呼ぶことになるスタンドを身に着けることとなります。

 ジョルノの生活は辛く苦しいものでした。ジョルノは母親からは一種の育児放棄を受け、彼が4歳の時に母親が結婚したイタリア人の男からは暴力を振るわれることとなります。さらに、暴力をきっかけとして他人の顔色ばかりをうかがう性格になったために、町の悪ガキたちのうっぷん晴らしのターゲットになってしまいます。これにより彼は自分がこの世のカスだと思うようになり、心が捻じ曲がる寸前まで行ってしまうのです。

 しかし、そんな彼に突然転機が訪れます。ある日、学校の帰り道でジョルノは銃で撃たれて血だらけになった男が倒れていることに気が付きます。ジョルノはその男を探している別の男たちから居場所を聞かれるのですが、恐怖を感じなかったこともあり嘘の情報を伝えます。さらに、彼のスタンドが無意識に発現したことで、男の体は草で覆い隠されることになりました。これが、結果的に男を救うこととなり、さらにジョルノ自身も救うこととなります。

数日後にジョルノの前に現れたこの男はギャングでした。彼は「君がしてくれた事は決して忘れない」と感謝の意を伝えるだけでなく、義父の暴行をやめさせ、悪ガキからのイジメを止めてくれました。さらに、ジョルノをその後も静かに見守り、ひとりの人間として敬意を示してくれる付き合い方をしてくれたのです。これにより、ジョルノのねじ曲がりかけていた心はまっすぐになるのと同時に、この男の「仁(思いやり・慈しみ)」の姿勢に惹かれ、ギャングに憧れることとなるのです。

 

 話は変わりまして、Aqoursのリーダーである我らが「高海千歌」ですが、彼女も秋葉原のUTX高校でかつて一世を風靡したスクールアイドルユニット「μ's」と突然の出会いを果たします。彼女はそれまで夢中になれるものを見つけられず、自身が「普通」であることに悩んでいました。また、親友である「渡辺曜」と一緒に何かをしたいという希望を抱きつつも、それを叶えられずにいたのです。ですが、映像の中のμ'sの「普通の高校生なのにキラキラしてた!」「最高に輝いている!」という姿に惹かれます。そして、彼女の心の中でくすぶっていた「輝きたい!」という欲求に火が付き、千歌はスクールアイドルに憧れることとなるのです。

 

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ラブライブ!サンシャイン!!1話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 ジョルノと千歌。憧れるものは違えども、先述の通り両者の憧れる過程には似ている所があります。

 似ている所の一つ目は生きていくうえで閉塞感を感じているときに、転機が突然訪れるということです。ジョルノは自分をカスだと思い、千歌は普通であることに悩んでいます。しかし、前触れの無い突然の出会いが2人の心の暗雲を晴らし、光明を見出すきっかけとなるのです。

 似ている所の二つ目は両者ともに憧れを抱いた時点では、純粋に「憧れるものになりたい」という希望を持っているだけであり、「憧れるものになって何をなすか」という考えはまだ持っていないということです。

 千歌が憧れるスクールアイドルの大先輩・μ'sのリーダー「高坂穂乃果」のスクールアイドルとの出会いも突然のものです。しかしながら、千歌のそれとは多少性質が異なります。穂乃果はスクールアイドルに出会う前に、自分が通う音ノ木坂学院が廃校の危機に瀕していることを知ります。そして、廃校を阻止するための手立てを探している最中にスクールアイドルに出会い、これならば学校を廃校から救えると考え、スクールアイドルになることを決意するのです。穂乃果の出会いが、千歌のそれと異なる点はここです。穂乃果も千歌同様その輝く姿を見て「スクールアイドルになりたい」という希望を頂いたのですが、同時に「廃校を救う」という考えも強く持っています。彼女にとって「スクールアイドルになること」はそれ自体が「目的」であるのと同時に、「手段」という側面も持っているのです。

 一方、千歌の通う浦の星女学院も廃校の危機に瀕しているのですが、それを知るのはスクールアイドルを初めてしばらく経ってからのこと。彼女がμ'sに出会った時点ではスクールアイドルになって何をなすかという考えは持っていません。この時点では「スクールアイドルになること」は純粋な「目的」でしかないのです。「浦の星を廃校から救う」「ラブライブに出場する」といった成したいことはまだ存在しません。

 これは助けた男に憧れたときのジョルノにも同じことが言えます。彼もギャングに憧れた時点ではギャングになって何をなすかという考えは持っていません。彼は「子供にまで麻薬を売りつけるギャング団「パッショーネ」を乗っ取り、組織の中から浄化する」ことを成すために行動を起こしますが、これは何年も経ってからなのです。

 ジョルノと千歌。両者には「憧れるものは全然違うのに、憧れ方が似ている」という特徴があります。この特徴が私がラブライブ!ジョジョに通じるところがあると感じる点の一つ目なのです。

 

 さらに言えば、このような「○○になりたい!」という気持ちだけを持つ純粋な憧れというものは今の私にはなかなか抱くことが出来ないものです。仮に憧れを抱いても、それは「モテるため」であるとか、「儲けるため」といった現実的なメリットを得るための「手段」として憧れるものです。そのため、千歌やジョルノが純粋な憧れを抱いているというだけでも、とても輝かしいと思ってしまうわけです。

 なお、ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOKの中で、酒井和夫監督はラブライブ!サンシャイン!!の魅力についてこのように言及されています。

9人とも、理屈じゃないところが好きですね。大人になれば、行動を起こすには理由が必要だし、世間からもそれを求められます。でも、千歌たちは、理由も求めないし、やりたいからやる!!できない理由を探さない…というか、自らに"枷"を作らないところに惹かれます。

ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルBOOKより

 この魅力を誰よりも強く感じていたであろう酒井監督だからこそ、千歌の憧れの描写は理屈抜きの純粋なものになったのかもしれません。

 さて、ここからは余談になるのですが、ジョルノがギャングに憧れる過程は原作漫画のナレーションでこのように表現されています。

両親から学ぶはずの「人を信じる」という当たり前の事をジョルノは無言の他人を通じて知ったのだ

奇妙な事だが………悪事を働き法律を破る「ギャング」がジョルノの心をまっすぐにしてくれたのだ

もうイジけた目つきはしていない…彼の心にはさわやかな風が吹いた……

男は決してジョルノを『ギャングの世界に巻き込まない』という厳しい態度をとっていたが……政治家が汚職をやり警官が弱者を守らないジョルノの住むような環境ではジョルノの気持ちを止める事はできない…彼の中に生きるための目的が見えたのだ…

こうして「ジョルノ・ジョバァ―ナ」はセリエAのスター選手にあこがれるよりも……『ギャング・スター』にあこがれるようになったのだ!

集英社文庫ジョジョの奇妙の冒険」30巻より

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」30巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 これをサンシャイン!!アニメ第1話における状況を鑑みて上記のナレーションを千歌バージョンにしてみたのですが、下記のようになりました。

 

テレビや雑誌から学ぶはずの「輝く」という素敵な事を千歌は普通の少女を通じて知ったのだ

奇妙な事だが………学校に通い普通に学ぶ「女子高生」が千歌の心をときめかせてくれたのだ

もうくすんだ目つきはしていない…彼女の心にはさわやかな風が吹いた……

家族からは『こんな田舎じゃ無理だ』という厳しい態度をとられていたが……何もなく日常が過ぎ心を惹きつけるものもない千歌の住むような環境では千歌の気持ちを止める事はできない…千歌の中に生きるための目的が見えたのだ…

こうして「高海千歌」はテレビのトップアイドルにあこがれるよりも……『スクールアイドル』にあこがれるようになったのだ!

 多少の無理はしましたが、案外違和感は無いのかなと思っております。(千歌がμ'sに出会った時も風が吹いてたし!)

 

2.ジョルノとその仲間たちの紹介 -スタンドって何ぞや-

 この章ではジョルノと行動を共にする仲間たちの紹介を行います。ラブライブ!に関する部分がほとんど無い(上に長い!)のですが、今後の話を進めるうえで必要だと思ったので書かせていただいた次第です。

 まず、前の章でも書いた「スタンド」について説明します。スタンドは平たく言うと「形をもった超能力」です。普通超能力というと手の平を瓶に向けて「ハッ!」という風に気合を入れると勝手に瓶が割れるといったイメージだと思うのですが、スタンドは違っていて超能力者(ジョジョでは「本体」と呼ばれる)が瓶を割りたいと思うと、守護霊の様なものが出てきて、パンチして壊してくれるというような表現になっているのです。なお、スタンドの形態は本体と同じサイズの人型が一体だけだったり、手の平サイズの人型が多数いたり、銃の形をしていたりと様々です。そして、大体ただ破壊するだけでなく特殊な効果をもっています。これを踏まえたうえで、説明を続けたいと思います。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」34巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 主人公のジョルノですが、先述の通り「ゴールド・エクスペリエンス」という人型のスタンドを持っています。この能力を簡単に説明すると「スタンドの手で触れた物質に生命を与え、生物に変える」です。例えば、破壊した車の部品を飛び跳ねるカエルに変えるといったことが出来ます。また、この能力を応用して、劇中では失われた体の部品を作って埋め合わせるといったことも出来るようになります。なお、途中で消えましたが、当初は生み出した生物を攻撃すると、その攻撃が攻撃した者に帰ってくるという効果もありました。

 ジョルノはこの物語で一人のギャングが率いるチームに所属し行動することとなります。そのギャングの名は「ブローノ・ブチャラティ。この物語のもう一人の主人公と呼べる男です。

 ブチャラティとジョルノの出会いは、ブチャラティがギャング団の一員である「涙目のルカ」を重体に陥らせた犯人を始末するために、ネアポリスに住むジョルノの元を訪れる事から始まります。実はジョルノはルカとの間でトラブルを起こしていました。その際にルカはジョルノが生み出したカエルをスコップで殴っており、そのダメージをルカ自身が受けてしまい重体になってしまったのです。

 そんなジョルノをブチャラティは自らのスタンドスティッキィ・フィンガーズで追い詰めていきます。このスタンドも人型で「スタンドの手で触れたものや殴ったものにジッパーをひっつけることが出来、それを開け閉めすることで空間を開いたり閉じたり出来る」という能力を持っています。この能力の使い方の例を挙げると、壁につけたジッパーを開けることで壁をすり抜ける・相手の体に大量のジッパーを付け、それを開くことで相手をバラバラにする・切断された腕にジッパーを付け、それを閉じることで腕をくっつけるといったものがあります。

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」30巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 この能力によりジョルノは体をバラバラにされる寸前まで追い込まれるのですが、一瞬のスキをついてブチャラティにスタンドのパンチを叩きこみます。これにより形勢は逆転し、あと一発叩きこめば勝てる状況になります。が、ジョルノは追撃しませんでした。それは、ブチャラティが「ギャングだけどイイ人だ」と気付いたからです。

 ブチャラティはこの戦いで自分の腕と偶然その場にいた少年の腕をスタンドを用いて交換することをしていたのですが、使っていた少年の腕を切り離したときに、彼の腕に注射の跡があることに気が付きます。さきほどの一瞬のスキも彼の腕を見たときに受けたショックにより生じたものです。ショックを受けたのには理由があります。このとき彼は「この街には子供に麻薬を売るやつがいて、そんな奴は許さない」という自分の気持ちと「この子供に麻薬を売ったのが自分が所属する組織「パッショーネ」のボスである」という現実との間で矛盾を感じ、心を痛めていたのです。そして彼が正義感が強い善良な人物であるとジョルノには分かり、攻撃を止めたのでした。

 さて、そうなるとそんな正義感が強いブチャラティが何故ギャングをやっているのかが疑問になるのですが、それは彼の過去が関係しています。

 ブチャラティの両親は彼が7歳のときに離婚し、それ以降ブチャラティは父親と一緒に暮らすことになります。彼の父親は漁師だったのですが、離婚をきっかけにブチャラティを街の良い学校に通わせたいと考えるようになりました。そのため、漁の無い日には釣り客や観光客を船に乗せるようになります。そんなある日、ブチャラティの父は2人の釣り客を近くの小島まで乗せるのですが、その内の1人が釣竿を忘れていってしまったことに気付き、渡そうと2人を追いかけました。ですが、追いかけた先で先ほどの2人が麻薬の取引をしている現場を目撃してしまいました。彼らは観光客ではなく、ごろつき(チンピラという認識で良いと思う)だったのです。そして、ごろつきであった彼らに撃たれてしまいます。父親は一命を取り留めたものの、その2人は口封じをするために病院に来てしまいます。そして、このとき12歳だったブチャラティは父親を守るためにこの2人を殺害するのです。

 ごろつき2人を殺害したことで、ブチャラティ父子は報復を受ける危険にさらされます。そして、彼らの生活する環境では警察が守ってくれることは期待できませんでした。そのため、身の安全を守るためには街を裏から支配する組織「パッショーネ」に入団し、「組織への忠誠と奉仕をひきかえに」安全を保障してもらうという手段をとる以外に無くなってしまったのです。入団当時、ブチャラティはこの組織をこの世の「正義」だと信じていました。しかし、このとき既に組織は麻薬の売買をイタリア国内に開拓していました。そして、後になって自分が信じていた組織のボスが自ら自分と父親を巻き込んだ「欲望の白い粉」に手を染めている事を知り苦悩することになったのです。

 ジョルノはそんなブチャラティに自分が組織に入団して、ボスを倒し、組織を中から浄化するつもりであることを伝えます。ブチャラティは驚愕するのですが、先ほどの戦闘でジョルノはバラバラになりかけていた腕をさらに引きちぎり、リーチを伸ばすという決死の行動をとっており、そこからジョルノが本当に覚悟していることに気が付きました。そんなジョルノに可能性を感じたブチャラティは彼の腕をひきちぎった程の気高き「覚悟」と黄金の様な「夢」に賭け、行動を共にすることになるのです。

 さて、ジョルノとブチャラティについて説明したところで、彼らがいるチームのメンバーを彼らの過去、およびスタンドと共に紹介しましょう。

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

レオーネ・アバッキオ

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 彼はブチャラティと同い年でチームの最年長者です。プライドが高いからか新入りのジョルノをなかなか認めてくれないのですが、信頼した仲間のためなら捨て身の覚悟で行動することも辞さない人物です。かつてはブチャラティに負けないほど正義感の強い人物だったのですが、次に説明するような理由によりギャングの世界に入ります。

 彼は高校を卒業後、人々を守りたいという純粋な正義感から警察官になります。しかしながら、程なくして「自分たちが命懸けで守ろうとしている人々が陰で悪事を働いている」「自分たちが悪人を命懸けで逮捕しても、金さえ積めば大衆のための法律が寛大に保釈してしまう」という矛盾に気が付きます。そんな矛盾に直面している内に「犯罪者が罪を逃れる過程で金を払うのが『自分へ』か『裁判所と弁護士へ』かが変わるだけだ」という考え方をするようになり、賄賂を受け取って犯罪者を見逃すようになってしまいます。

 そんなある雨の夜、老人宅を強盗が襲っているという通報を受けた彼は相棒の警察官と共に老人宅に駆けつけます。そこで彼が見た強盗は、かつて自分が賄賂を受け取って見逃した男でした。その男はもう一度見逃すよう頼んできますが、アバッキオは拒否しました。すると男は自分が逮捕されれば、アバッキオが賄賂を受け取ったことがバレると言い、脅迫してきたのです。それを聞きひるんでしまったアバッキオに、男は銃を向けます。それと同時に相棒の警察官が突入してきて、アバッキオをかばいました。男が撃った銃弾は相棒の警察官に命中し、そのまま彼は殉職してしまったのです。

 これによりアバッキオの未来は終わってしまいます。汚職警官として罰を受けただけでなく、自分の行動のせいで相棒を死なせるという一生外せない十字架を背負うこととなったのです。これにより彼は身も心も暗黒に落ち、生きがいも無くしてしまいました。そんな彼が選んだ道は組織の中で強大な誰かが出す命令に従う事だったのです。

 彼はムーディー・ブルースというスタンドを扱うことが出来ます。このスタンドの能力は「ある人物に起こった『過去の出来事』を録画したビデオのように現在まで再生出来る」というものです(一時停止や早送り等も可)。これにより、連れ去られた仲間の所在を明らかにしたたり、組織の幹部が過去に喋ったメッセージを聞くといったことが出来ます。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

ナランチャ・ギルガ

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」32巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 彼は言うなればチームのムードメーカーです。子供っぽい言動をしますが、いざとなれば冷静な判断力と観察眼で窮地を切り抜けます。勉強は得意でなく、さらにそれを指摘されると怒りやすいのですが、後に紹介するフーゴに勉強を教わろうとするなど、勉強したいという希望はあるようです。

 彼は次のような経緯で組織に入りました。ナランチャは10歳の頃に母親を目の病気で亡くし、それにより元々ナランチャに無関心だった父親がより無関心になるという厳しい状況に陥ります。そうしているうちに、彼は学校に行かなくなり、その日常を友人たちと共に過ごすようになりました。当時彼は「この世で最も大切なものは友情である」という考えを持っていたのですが、強盗を犯した年上の金髪の友人に勧められるがまま金髪にしたことで、罪を被せられ少年院送りになります。さらに、取り調べで警官から受けた暴行が原因で、目を患ってしまいました。しかも、彼の目の病気が母親ゆずりでうつるから近寄るなという噂が広まってしまいます。母親の目の病気のことは先ほどの金髪の親友にしか言っていなかったことから、彼は自分が見捨てられたことを悟ります。そして、自分も近いうちに母親と同じように死ぬ運命なのだと考えるようになり、15歳にして人生を捨ててしまうのです。

 そんなある日、ナランチャはゴミ箱を漁っているところをフーゴに発見されました。フーゴの導きで彼はブチャラティの元に通されます。ブチャラティナランチャにスパゲティを差し出し、さらに病院に送り医者に見せるなど、様々な手助けをしてくれたのです。加えて、ブチャラティがギャングだと気づいたナランチャが下で働かせてくれるよう頼むと、ブチャラティは安易にギャングになろうとしたナランチャを叱ってくれました。このこともあり、ナランチャは一度は学校に戻るのですが、父親や警官とは違い「ナランチャのために怒った」ブチャラティの元で働きたいと思うようになります。そこで、彼はブチャラティには内緒で組織の入団試験を受け合格し、ギャングの道を歩むことになるのです。

 彼のスタンドはエアロスミスという名前で、単発のプロペラ機のような形態をしており、機銃や爆弾で攻撃することが出来ます。また、生物が吐き出す二酸化炭素を検知することが出来、この特性を駆使して隠れた敵を発見したりすることが出来ています。

 

イード・ミスタ

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 彼はチーム内では三枚目と言って良いようなキャラです。ジョルノをラッキーボーイだと考え、かなり早くに受け入れます。銃の名手なのですが、4という数字が大の苦手で、4つのものから1つを選ぶという状況に晒されると急に弱気になってしまいます。

 彼が組織に入った経緯はこうです。彼は少年のころから「単純に生きる」を信条に日常生活で行う事・起こる事を深く考えずに楽しんで生きていました。ですが、彼が17歳のとき、夜道を歩いていると駐車中の車の中で男が女にかなり酷い暴行を加えているのを目撃することとなります。彼は、そのシンプルな性格ゆえに体が勝手に動き、殴っていた男を車から引きずり出して蹴りを入れます。すると、車の中から男の仲間が2人出てきました。彼らは街のゴロつきで、3人とも銃を発砲してきました。

 ところが、彼らは取り乱していたため、銃口をきちんとミスタに向けることが出来ておらず、何発撃っても弾はミスタに命中しませんでした。しかも、ミスタはこのとき本人も驚くほどの集中力と冷静さを発揮しています。最終的には女に暴行を加えていた男が使っていた弾が切れた銃を奪い、弾も奪って、それを銃弾が飛んでくる中で正確に装填し、3人の男たちを合計4発の弾で射殺したのです。

 その後、ミスタは逮捕され禁錮15~30年の判決が言い渡されます。彼は正当防衛を主張しましたが、「多数の弾丸が飛んでくる中で、一発も被弾することなく、弾を込めて撃った」という状況があまりにも非現実的であり、かつ目撃者であるはずの女もどこかに行ってしまったため、彼の主張は通らなかったのです。単純に生きてきた彼も、このときばかりは頭を抱えることとなりました。ですが、街で起こる事件に目を光らせていたブチャラティはこれが正当防衛であることに気が付きました。さらに、ミスタにとんでもない銃の才能があること、このまま刑務所に入れておけば数年以内に所内で殺人を犯しかねないことを理解するのです。そこで、ブチャラティは組織の力で判決を覆すことを考え、ミスタに入団試験を受けさせます。結果は見事に合格。無罪となった彼は組織の中でギャングとして活動することとなります。

 彼のスタンドはその名もセックス・ピストルズ。銃弾サイズの小人のような形態をしており、それが6匹で1つのスタンドを成しています。能力は「発射される弾丸を操り、自由自在に飛ぶ方向を変える」というものです。通常のスタンドと違い、6匹それぞれが自我を持っており、ペット扱いしたり(なので正しくは6匹ではなく6「人(にん)」と言う必要がある)、ごはんを食べさせなかったり、きちんと休息をとらせなかったりすると怒って働かなくなってしまいます。ですが、自我があるので、ミスタが指示を出すことが不可能な状態になっても、自分の考えで他のメンバーのサポートに回るといったことも可能です。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

パンナコッタ・フーゴ

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」32巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 彼は非常に頭が良く、チームの頭脳と言えます。彼は元々ネアポリスの裕福な家庭の生まれで、しかも天才だったため飛び級で大学に入ります。しかし、かなり短気な性格で、人間関係が上手くいかなかった教師を、重い百科事典でメッタ打ちにしてしまいます。以後、落ちに落ちて、ギャングとなり最終的にブチャラティの部下となったのです。

 さて、彼の経歴は以上です。ほかのメンバーと比較すると物凄くあっさりしていますが、これは彼の経歴だけは、敵の1人であるイルーゾォが読み上げた略歴でしか語られていないためです(詳細は後に発行されたスピンオフ小説「恥知らずのパープル・ヘイズ」に書かれているらしいのですが、私は読めていません)。この冷遇ともとれる扱いですが、これは後に彼が進む道が影響しているのかもしれません。

 彼のスタンドは人型の「パープル・ヘイズ(紫の煙)」です。このスタンドの両方の拳にはカプセルが付いており、何かを殴るとこのカプセルが割れ、数十秒以内に生体を体内からドロドロに溶解させて殺す殺人ウイルスがばらまかれるという非常に危険なスタンドです。ウイルスは室内ライト程度の光でも10数秒当てれば死滅するのですが、それにしても使用するにはリスクが高く、フーゴ自身も滅多に使わない能力なのです。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」32巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 大分長い説明になってしまいましたが、ブチャラティチームは以上の6名です。ジョルノが加わってすぐ、ブチャラティは組織に上納金を収め、幹部の椅子を手にします。そして、ひとつの重要な任務を与えられます。それはボスの娘トリッシュ・ウナ」を護衛し、ボスの所まで連れてくることでした。そもそも、この組織のボスは幹部ですらその正体を知ることが出来ないほど、徹底的に自らの過去を消し去ってきています。が、ブチャラティがジョルノに出会う直前に自分と血が繋がる娘トリッシュがいることが発覚し、ボスはすぐさまトリッシュを保護するよう指令を出したのです。ジョルノとブチャラティは最終的にはボスを倒そうとしていますから、その正体を知りたいと考えています。そのため、他のメンバーやトリッシュに真意を隠しつつも、ボスに近づける可能性があるこの任務に就くこととなりました。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」31巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 さて、このトリッシュですが、物語の中で彼女は大きく成長します。最初は高飛車な部分が目立ち、しばしば自分本位な部分が見え隠れするのですが、終盤ではチームの仲間のためにハイリスクな選択が出来るような強靭な精神を持つようになります。そして、この成長が彼女のスタンドを発現させるのです。

 彼女のスタンドの名は「スパイス・ガール」。人型で、能力は「触れたものを柔らかくする」です。当初はトリッシュが手で触れると意に反して柔らかくなってしまったりしたのですが、彼女が成長し強くなったことで明確な人型の形態を持つようになり、柔らかくしたいものは柔らかくし、破壊したいものはその拳で破壊すると言ったような制御が出来るようになります。さらに、このスタンドは「セックス・ピストルズ」のように自我を持っており、初めて人型のスタンドとして発言した時はトリッシュに語り掛けて彼女の「迷い」や「弱さ」を消すように行動し、さらなる成長を促します。そんな「スパイス・ガール」への接し方に最初はトリッシュも戸惑うのですが、程なくして「スパイス・ガール=自分自身」だと理解し、「柔らかくすること」と「破壊すること」の使い分けが出来る程にまで自らのスタンドを成長させるのです。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」36巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」36巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 互いが互いを成長させあうトリッシュとスパイス・ガールとの関係は、どこかラブライブ!のキャストさんとキャラクターとの関係を彷彿とさせます。「スパイス・ガール」はジョジョシリーズの中でも、最もラブライブ!っぽいスタンドと言って良いでしょう。

 

3.「覚悟」とは? -全部を楽しんで進んでいく-

 トリッシュ護衛の任務に就く彼らは、トリッシュを誘拐しボスの正体を暴くことで、麻薬ルートを占拠しようと企む「暗殺チーム」から襲撃を受けます。彼らはホルマジオ、イルーゾォ、プロシュート、ペッシ、メローネといった強敵を辛くも倒し、ボスが待つヴェネツィア「ベニス」ではありません、「ヴェネツィア」です。)に向かいます。そんな中で、ボスへのトリッシュの引き渡し方法が記録されたDISC回収のために、ジョルノとミスタ両名は他のメンバーと分かれて自動車でヴェネツィアに向かうのですが、ここで暗殺チームの1人「ギアッチョ」の襲撃を受けるのです。そして、この対ギアッチョ戦からがジョジョ第5部におけて「覚悟」が多く出てくる所になります。

 ギアッチョは非常に厄介なスタンド能力を持っていました。その名は「ホワイト・アルバム」。能力は絶対零度の冷気を操り、あらゆるものを瞬時に凍らせる」です。凍らせるというシンプルな特性ですが、シンプル故の汎用性の高さが彼らを苦しめることになります。まず、ホワイト・アルバムは冷気を帯びたスタンドを身に着けるという形態の能力で、それによりギアッチョは氷のボディスーツで全身を覆った状態となります。絶対零度下ではありとあらゆる物体が運動を止めてしまうため、ミスタの撃った銃弾も届きません。さらに、極低温で生息できる生物はほとんどいないので、ジョルノのスタンドもほとんど役に立たないのです。それに加えて、凍らせることで自動車をスリップさせたり、ペダルの操作を出来ないようにさせられ、結果的に自動車ごと運河に飛び込む羽目になります。さらに付け加えれば、ジョルノの腕も一度凍結されることで大きな傷を負ってしまうのです。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」34巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 運河に飛び込んだ後、機転を利かせてギアッチョの能力を利用することでミスタは何とか岸に辿り着けます。ここで、ジョルノはミスタに一刻も早く岸に上がり、DISCを持ってこの場を去ることを提言するのですが、ミスタはそうしませんでした。ミスタは「全身を氷のスーツで覆っているならば、どこかに呼吸するための空気を出し入れする穴があるはずだ」と考えており、水の中ならその穴を探せる、穴が見つかればそこに銃弾を撃ち込めると踏んだのです。実際にギアッチョの首の後ろに穴はありました。ミスタはピストルズの能力を使い、その穴に銃弾を撃ち込みます。が、ギアッチョの能力が上手でした。彼は極低温で空気自体を凍らせ、壁を作り穴を塞ぎました。しかも、空気の壁を応用して、撃ち込まれた弾丸を反射させて、ミスタを打ち抜いたのです。結果的にギアッチョが先に岸に上がり、DISCはギアッチョの手に渡ってしまいます。

 この事でジョルノの言う通りにすべきだったと思ったミスタは大きな責任を感じていました。そして、ギアッチョに至近距離まで近づき、自分を犠牲にしてでも銃弾を撃ち込もうとしたのです。しかしながら、ジョルノはこう考えていました。「自分とミスタの責任は「覚悟」をもって切り開く」「今必要なのは追い詰められた根性ではない」と。そして、ジョルノは運河に浮かぶ自動車の上に立ち上がり言うのです。

「覚悟」とは………犠牲の心ではないッ

ジョルノ・ジョバァーナ 

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」34巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 彼はギアッチョが作った水面の氷の近くまで泳ぎ、傷ついた腕をその氷に叩きつけます。そして、噴き出る血をギアッチョに浴びせながら叫びます。

「覚悟」とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開くことだッ!

ジョルノ・ジョバァーナ

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」34巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 

 浴びせた血はギアッチョの周囲で凍結し、鏡のようになりました。これにより、ギアッチョの後ろに回らずともミスタに穴の位置が分かるようになりました。ミスタも覚悟を決めます。彼は発砲し、ギアッチョの背後にある街灯で弾を跳ね返したうえで、ギアッチョの呼吸穴に弾を打ち込むのです。弾は先ほどと同様にミスタに戻ってきます。が、これはミスタの計画通り。ミスタの覚悟とは「自ら銃弾をあえて身に受け、ギアッチョに大量の血を浴びせること」でした。血はギアッチョの顔にかかります。彼の顔はフルフェイスのヘルメットのような氷で覆われているので、血はすぐに凍結してしまい視界を奪われてしまうのです。視界を奪われ後ろによろけてしまったギアッチョの首に何かが刺さります。それは、先ほどミスタが街灯で弾を跳ね返すことで削って作った鋭利な刃物でした。それが呼吸用の穴を通ってギアッチョの首に刺さったのです。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」34巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 ミスタは「真の『覚悟』はここからだッ!」と叫び、さらに銃弾を撃ち込みます。もちろん銃弾は全てミスタに返ってくるのですが、構わず打ち込んで刃物をさらに深く刺さるようにするのです。多くの銃弾を受けたミスタはその場に倒れてしまいました。ギアッチョはというと傷穴から出た自らの血を凍らせて、刃物が余計に刺さらないようにしていました。そんな中、最後の一発がミスタの頭に命中します。ギアッチョは勝ったと思いました。

 ですが、頭に着弾した銃弾は光を放ち、傷を埋めていきます。よく見ると、そこには岸に上がったジョルノが立っていたのです。時間は明け方。登り始めた太陽の光に照らされながらジョルノは言います。 

ミスタ…あなたの「覚悟」は…この登りゆく朝日よりも明るい輝きで『道』を照らしている

そして我々がこれから『向かうべき…正しい道』をもッ!

ジョルノ・ジョバァーナ

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」34巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 ゴールド・エクスペリエンスの蹴りのラッシュが炸裂します。それによりギアッチョの首に刺さった刃物は完全に首を貫き、ギアッチョは絶命します。彼らの「覚悟」がギアッチョという難敵との戦いに勝利するという結果をもたらしたのです。

 

 ジョジョ第5部におけるこの部分は、ラブライブ!に通じるところが多い部分だと思っています。その一つは登りゆく太陽の描写です。ラブライブ!においては今回のジョルノとミスタの話と同様に、道が開けたときや希望を感じたときに陽光が照らすシーンが多く出てきます。μ'sの物語で言えば1期8話で絵里と希が想いをぶつけ合うところ~2人がμ'sに入るまでのシーン、2期1話で穂乃果が高らかに「優勝を目指そう!」と言うシーンが挙げられるでしょう。Aqoursの物語ですと1期8話で悔しさを糧にスクールアイドルをを続けることを決意するシーン、1期10話で梨子がピアノへの想いに答えを出すことを決めるシーンが挙げられると思います。もちろん今挙げたシーン以外にも色々あります。

 

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ラブライブ!1期8話より (C)2013 プロジェクトラブライブ!

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ラブライブ!サンシャイン!!10話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 また、サンシャイン!!において千歌が言ったことにも今回取り上げたジョジョのシーンに通じるものがあります。1期12話ではμ'sのことについて次のように語っています。

μ'sの凄いところって…きっと何もないところを…何もない場所を…思いっきり走ったことだと思う…みんなの夢を…叶えるために!

高海千歌

 

そして自らの決意を語ります。 

私は…「0を1にしたい」!あのときのままで終わりたくない!

高海千歌

 

千歌をはじめとするAqoursのメンバーはμ'sが自ら進むべき道を切り開いたことを知ったことで、自身の進むべき道を切り開くのです

 1期13話ではこのように語っています。 

これからも色んなことがあると思う…嬉しいことばかりじゃなくて…辛くて大変なことだって一杯あると思う…でも私…それを楽しみたい!全部を楽しんで…みんなと進んでいきたい!!それがきっと…輝くってことだと思う!

高海千歌

 

 人が辛い目にあったときに挫折する。これは人間の心の強度に限界がある以上、必ずしも悪と言えることではありません。必要であることは多々あります。しかしながら、Aqoursの9人は辛くて大変なことすらも楽しんで前へと突き進むことを決めました。これは極めて前向きな1つの「覚悟」ではないしょうか。私は強くそう思っています。

 

 ラブライブ!の物語の中では今回取り上げたジョジョのストーリーの様な「覚悟」の流れが存在する部分もあります。

 μ'sで言うと、1期の8話がそれにあたるでしょう。生徒会長であった絵里は祖母も愛した音之木坂を何とか存続させなくてはならないという責任感から、自分が何がしたいのかという想いを封じて行動します。ですが、責任感故かその行動はどうしても保守的になり、手詰まりになっていきました。さらに、彼女の「犠牲の心」は理事長や希にも看破されており、それを指摘されることで大いに苦しむことになるのです。しかしながら、μ'sのメンバーが自分が指示した厳しい練習に全力でかつ前向きに取り組む姿勢や、学校を救いたいという想いが自分同様に本物であること、そして変わる勇気を持ったメンバーたちのことを知り、自らも変わる勇気を持ちます。心の片隅でやってみたいと思っていたスクールアイドルになり、全力で楽しみながらオープンキャンパスを大盛況にするのです。

 絵里の「自らが本当にやりたいことを封印してでも学校を救う」という『犠牲の心』は、「自らが変わることで楽しみながら学校も救う道を切り開く」という『覚悟』に昇華したのです。

 Aqoursで言えば、1期10話が該当すると思います。このとき梨子にとってスクールアイドルはかけがえのないものになっていたのですが、それ故に予備予選と同日に行われるピアノコンクールへの出場をどうするか迷います。迷った末に、一度は自分のピアノへの想いが曖昧になったとしても予備予選に出ることを決めました。しかしながら、千歌は梨子が抱いているはずの「ピアノが大切だという想い」を犠牲にしているように感じていたのです。そこで、梨子に「ピアノコンクールに出場して梨子のピアノを大切に想う気持ちに答えを出してほしい」「自分たちはここで必ず待っている」という想いを伝えます。そして、梨子はピアノコンクールに赴き、ピアノと向き合うこと決めたのです。

 この回では、梨子の「スクールアイドルという大切なもののために、ピアノというもう一つの大切なものを諦める」という『犠牲の心』が、「スクールアイドルとピアノという、同じくらい大切なものの両方を諦めない道を進む」という『覚悟』に進化したと言えるでしょう。

 

 ジョジョにおいて、ミスタは自ら銃弾を受けるという無謀な作戦に打って出ますが、これはジョルノのスタンドの体の部品を作って埋める=傷を治療するとう能力を信頼してのことです。また、ギアッチョを制した後で、彼は「自分の覚悟はジョルノの覚悟でもあった」という旨の発言をしています。

 これは先ほど取り上げたラブライブ!の2つのシーンにも通じています。絵里の例で言えば、絵里の覚悟は穂乃果を始めとするμ'sのメンバーを信頼したからこそ出来たものです。付け加えると、これは絵里が指示する厳しい練習に耐えてでも、絵里と共にスクールアイドルとして更に進化するという穂乃果たちの覚悟でもあります。

 梨子の例も同じで、彼女がピアノコンクールに行けたのは残りの8人に予備予選を任せても良いと思えるほど信頼していたからです。また、他のAqoursのメンバーに予備予選を任せてピアノに向き合うという覚悟は、予備予選を突破して次こそは必ず梨子を含めた9人でステージに立つという千歌たちの覚悟でもあったのです。

 このように全くと言っていいほど作風が違っていても、ジョジョラブライブ!の「覚悟」の形は似ている所が多いわけです。

 

 話はジョジョに戻ります。覚悟によってギアッチョを倒したジョルノ達でしたが、彼らには更なる「覚悟」を決める時が待っていました。手に入れたDISCの指令に従い、ヴェネツィアの中の小島「サン・ジョルジョ・マジョーレ島」の教会に向かいます。引き渡し場所である教会の塔の上に繋がるエレベーターにはトリッシュと護衛1人しか乗ってはならないという指令も出ていたので、ブチャラティトリッシュを連れて行くことになり、他のメンバーは乗って来た船の上で待機することとなりました。 エレベーターの中でトリッシュは「これからどこへ行くのか?」「父親のことを好きになれるのか?」といった不安を口にします。そんな彼女をブチャラティは優しく励まし、手を貸しました。そして、手を繋いだままエレベーターで登っていきます。

 しかしながら、程なくしてブチャラティは違和感を感じます。振り返ると先ほどまでそばにいたはずのトリッシュがいません。それどころか、トリッシュと繋いだ手を見ると、そこには彼女の手首から先しかなかったのです。ブチャラティは驚愕します。そして、同時に理解するのです。ボスが彼らにトリッシュを護衛させてここまで連れてこさせたのは「トリッシュを保護するため」ではなく、「自分の過去や正体に繋がるトリッシュを自らの手で確実に抹殺するため」であったことを…。

 ブチャラティは何も知らない自分の娘を自分の利益のためだけに利用したボスを「吐き気をもよおす邪悪」と評し激昂します。 そして、麻薬の売買に手を染めてブチャラティの心を裏切り、トリッシュを利用したことで再度彼の心を裏切ったボスをこの場で始末することを決意し、追撃するのです。

 ボスが地下にある納骨堂に向かったことを知り、ブチャラティは追い越します。そして、ボスの近くまで近づきスティッキィ・フィンガーズのパンチを繰り出します。しかし、パンチは当たっていませんでした。気付けば前方にいたはずのボスは背後に回っており、直後にボスのスタンドの拳がブチャラティの胸を貫くのです。致命傷です。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」35巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 ボスはキング・クリムゾンというとんでもない人型のスタンドを持っていました。能力は「時間を消し飛ばす」こと。そして、「消し飛ばした時間の中を自分だけが自由に動ける」ことです。例えば、真正面からボスに向かって至近距離から銃を撃った場合、通常ならボスの体を貫通してから、ボスの後ろに飛んでいきます。ですが、キング・クリムゾン」を使えばボスの体を貫通するという「過程」を時間ごと消し飛ばし、消し飛ばされた時間の中でボスはゆとりを持って銃弾を避けることが出来ます(消し飛ばされた時間の中ではボス以外の動きはスローモーションのようになる)。これにより、ボスの後ろに飛んで行ったという「結果」だけが残るのです。しかも、消し飛ばされた時間を認識できるのはボスだけで、それ以外の生物は消し飛ばされた時間を認識することはできません。さらに、スタンドの額には「エピタフ」という小さな顔が付いており、それにより近い未来を予測することが出来ます。これにより、ボスは自分にとって危険だと判断した攻撃を相手にかわされたと気づく間も無いまま、かわすことが出来るのです。非常に強力な能力と言えます。

 胸を貫かれたブチャラティトリッシュを連れて何とか教会の1階まで辿り着きました。ブチャラティはそこでジョルノに治療を受け、辛くも復活し窮地を切り抜けました。そして、今の状態ではボスに勝つことが出来ないと分かったブチャラティは急いで脱出することを命じるのです。なお、先ほど「復活」と書きましたが、ブチャラティは「蘇生」はしていません。これは後に明らかになり、かつジョルノ以外最後まで知ることが無かったことなのですが、ブチャラティはこの時点で絶命していました。ですが、ジョルノの「ゴールド・エクスペリエンス」で傷を塞いだときに与えられた生命エネルギーによって一時的に動けるようになっていたのです。このときから彼は「生ける屍」となりました。「死ぬ運命」が確定したのです。

 

 トリッシュを引き渡しに行ったはずのブチャラティが彼女を連れて帰ってきたことにジョルノを除く4人は驚き、何故このような状況になっているのかを問います。それに対し、ブチャラティはボスが自分たちにトリッシュを護衛させた目的が自らの手で彼女を始末するためだったこと、それが許せなかった自分は「組織を裏切ったこと」を伝えたのです。組織を裏切った者が皆、「死」という末路を迎えることを全員理解しています。アバッキオナランチャ、ミスタ、フーゴの4人は思わず体が震えます。そんな彼らにブチャラティは告げます。「助けが必要であること」「自分はついて来いと『命令』しないこと」「ついて来てほしいと『願う』こともしないこと」を。

 このときブチャラティはボスを必ず倒すという確固たる覚悟を決めていました。そんな彼は凛とした表情を見せ、「ひとつだけ偉そうなことを言わせてもらう」という前置きを付け加えた上で言います。

オレは「正しい」と思ったからやったんだ

後悔はない…こんな世界とはいえ

オレは自分の『信じられる道』を歩いていたい!弱点さえ見つければ…今は逃げるだけだがボスは必ず倒す!

弱点は必ず見つける!

ブローノ・ブチャラティ

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」35巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 黙ってしまう4人。その中でフーゴブチャラティブチャラティのやったことは正しいと思うが、ついていくものは誰もいない」「理想だけでは生きられない」「組織なくしては誰も生きられない」と告げました。それに重ねるようにアバッキオは言います。 

あんたのやった事は自殺に等しい事だぜ

世界中どこに逃げようともうあんたには「安息」の場所はない…

そしてオレが忠誠を誓ったのは「組織」なんだ

あんたに対し忠誠を誓ったわけじゃあねえ!

レオーネ・アバッキオ

  

これを聞いたブチャラティはジョルノ以外はついて来ないのだと考え黙って苦渋な表情を浮かべました。が、その考えは違っていました。アバッキオは覚悟を決めていたのです。彼は先ほどの言葉に加える形で言います。

 

しかしだ……オレももともとよォ~行く所や居場所なんてどこにもなかった男だ…

この国の社会からはじき出されてよォ――オレの落ちつける所は…ブチャラティ

あんたといっしょの時だけだ…

レオーネ・アバッキオ

 

 彼はブチャラティを誰よりも信頼していました。そして、以前は強い正義感を持っていました。そんなアバッキオだからこそ「正しい」道を進む覚悟を決めることが出来たのです。ブチャラティのとった行動の愚かさを指摘しつつも、それを受け入れて共に進むことを示す上記の台詞からは、ラブライブ!における穂乃果海未との信頼関係に通じるものを感じます。

 次に乗って来たのはミスタでした。なお、彼は「実力から言って次の幹部はオレかな」と軽い感じで言ったり、ブチャラティが莫大な金を手に入れる方法を知ってると考えて、それを教えるようにジョルノに耳打ちしたりします。彼はブチャラティを信頼していますし、ジョルノにも可能性を感じているので覚悟が出来たわけですが、何だか軽い感じだなと感じさせます。まあ、それが彼の良いところではあるのですが。(ラブライブ!にはいないタイプかもしれない)

 

 ナランチャは恐怖していました。それでも、ブチャラティの命令なら勇気を出せると考えていた彼はブチャラティについて来るよう命令してくれと頼みます。ですが、ブチャラティ「自分の歩く道は自分で決めねばならない」と言い命令することをしません。さらに、ナランチャには向いていないという忠告をしました。ナランチャはさらに頭を抱えて悩みます。

 そうしている内にブチャラティ、ジョルノ、トリッシュアバッキオ、ミスタを乗せたボートは岸を離れます。フーゴナランチャとの距離はどんどん離れていきます。そのとき、ナランチャの目にトリッシュの手首が映りました。彼女の手首はスティッキィ・フィンガーズのジッパーでくっつけられていました。傷口からは未だ血が流れています。ここで彼は気が付きました。トリッシュは実の父親に腕を切断されるという、仕打ちを受けたことに…。彼はそんな彼女と自分の過去を重ねて、涙を流しながら呟くのです。

トリッシュは…信じる人に見捨てられた……オレも昔…見捨てられた……

父さんからも…信じてた友達からも……見捨てられた………

同じだ……トリッシュと「オレ」は

なんか…『似てる』……

ナランチャ・ギルガ

 

 ボートに乗って運河を進むブチャラティ達。ここで、ジョルノが皆に振り替えるよう促します。振り返った先では、ナランチャが泣き叫びながら泳ぎ、ボートに追いつこうとしていたのです!

 

ブチャラティィィィィィィィィィ

行くよッ!オレも行くッ!行くんだよォーーーッ!

オレに「来るな」と命令しないでくれーーーーッ!

トリッシュの腕のキズはオレのキズだ!!トリッシュはオレなんだ!オレだ!

ナランチャ・ギルガ

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」35巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」35巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 ナランチャ自分と同じ苦しみを味わったトリッシュを見捨てることが出来ないと考え覚悟を決めました。1人になってしまった人を決して放っておけないというのは、ルビィ花丸と共通する優しさなのかもしれません。なお、泳いでくるナランチャを見るブチャラティ達の顔に恐怖は無く、どこか誇らしそうでした。これから茨の道を進むのにもかかわらず……。

 

  文庫版ジョジョのあとがきにて、原作者の荒木飛呂彦先生は彼らの行動についてこのように述べています。

「組織」は「権力」と「恩義」の象徴で、自分たちを育ててくれた「故郷」。しかし、主人公たちは「正義」の下で生きるために、そこに闘いをいどむ事を決意します

 

彼らは「権力」の庇護の下に生きていれば、安全に楽に過ごせたかもしれません。でも主人公たちは、危険でも「正義」を選択したのです。「正義の中」にこそ自分たちの存在価値を信じて。

集英社文庫ジョジョの奇妙の冒険」30巻より

 

 このジョルノ達の行動には、週刊少年ジャンプでの連載当時『黄金の風』を表現する上での大きな危機を感じていた荒木先生自身も勇気づけられたとも述べられています(当時は自主規制の流れが強くなり始めた時期だった)。実際の所、周囲やより強大な権力を持った者の考えに合わせるために、自分の考える正義を選択できなくなることは多々あります。漫画の表現としてはかなり攻めているほうである荒木先生でさえ悩むくらいですから、私ならばなおさらです。ですので、ジョルノ達の行動には勇気づけられるのと同時に、敬意を持ちたくなります。

 

 ここで、視点をラブライブ!サンシャイン!!に移してみましょう。Aqoursのメンバーが住まう世界において「ラブライブ!(この場合は大会という意味が強い)」というのはスクールアイドルが進むべき道を定める巨大な礎と言えるでしょう。その運営委員が全国各地のスクールアイドルに関する情報を一手に引き受け、大会に参戦する上でのルールを制定しているのですから、見方によっては「権力」とも言えるかもしれません。また、全国のスクールアイドルに輝く機会とそのための場所を提供していることを考えれば「恩義」の象徴でもあるでしょう。そして、全国のスクールアイドルがμ'sやA‐RISEと言ったラブライブ!を制した者たちに憧れ、ラブライブ!優勝を目標に切磋琢磨しているのですから、全てのスクールアイドルの心の「故郷」といっても良いと思います。

 Aqoursにとっても上記のことは当てはまります。実際、千歌は1期13話で自分たちを地区予選の舞台まで連れてきてくれたもののひとつに「ラブライブ!」を据えているのです。ですが、Aqoursには他のスクールアイドルとは違うポイントがあります。それは「自分たちが進むべき道がラブライブ!優勝のみを目指すことではない」という事に気が付いたことです。この気付きの結果、13話では地区予選の舞台で寸劇を行ない、浦の星や自分たちが住む町のことを知ってもらおうとします。0を1にするために。そして、大会の規定を飛び越えて、応援してくれる皆で歌うのです。最後はステージを駆け抜け、ドアから飛び出していきます。それが彼女たちが望む「輝き方」であり、スクールアイドルとしての「正義」だから…。(なお、公式本において「Aqoursは現実をどんどん飛び越えていく」という旨の記述があったことから、上記の行動のどこまでが実際にやった事なのかは考察の余地があります。ですが、いずれにせよ今までのラブライブ!の大会の常識に囚われない何かをやってのけたのは間違いないでしょう。)

 

 ブチャラティ達は「裏切る」という形で「組織」という巨大なものから離れます。

 千歌達は「ステージから1回退場する」という形で「ラブライブ!」という巨大なものから離れます。

 この2つはどちらも自らの「正義」を選択するため、「信じられる道」を歩むための行動です。この勇気ある行動が、ジョジョ第5部とラブライブ!サンシャイン!!の両方に通じる事であり、我々にも勇気を与えてくれる魅力なのです。

 

 本当の意味で確固たる「覚悟」を決めた者というのは逞しいものです。その逞しさを、ブチャラティ達が組織を裏切った直後に、ナランチャが見せてくれます。彼らはボスを裏切った後で、食事もかねて運河沿いのレストランで、ヴェネツィアからの脱出方法と今後の方針を決めるための作戦会議をします。そして、そこでボスの親衛隊であるティッツァーノスクアーロ両名の襲撃を受けます。

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」35巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 始めにナランチャがスクアーロのスタンド「クラッシュ」の攻撃を受けてしまいます。「クラッシュ」はサメのような姿をしたスタンドです。ある液体から数メートル先の別の液体へ瞬間移動することが出来、液体の近くにいたものに喰らいついて引きちぎったり、喰らいついた対象を瞬間移動を駆使して運んだりすることが出来ます。このスタンドの攻撃でナランチャは舌を食いちぎられてしまいます。彼の舌はジョルノの能力で治るのですが、このとき既にクラッシュが運んできていたティッツアーノのスタンド「トーキング・ヘッド」を仕込まれてしまいます。このスタンドはパワーは無いのですが、憑りつかれると言いたい事と逆のことを言ってしまったり書きたい事と全然違う事を書いてしまったり指し示したい方向とは全然違う方向を指してしまったりするようになってしまいます。これが、地味に厄介な能力で、これによりナランチャは仲間たちに正しい情報を伝えられなくなってしまうのです。

 そんな中で、ジョルノがクラッシュに拉致されてしまいます。ジョルノは仲間の傷を治してしまうので、真っ先に始末すべき対象にされていたのです。当然、すぐにでも助けなくてはいけませんが、トーキング・ヘッドのおかげで仲間に正しい情報は伝えられません。やむを得ずナランチャは1人でスクアーロとティッツァーノを探し出して直接叩く羽目になってしまうのです(スタンドは原則として本体が死亡すれば、同時に消滅する)。

 最終的に広場の中央でナランチャはスクアーロとティッツァーノを発見することに成功します。しかも、一番近い井戸も離れたところにあり、ナランチャの近くに液体が無いので、クラッシュは瞬間移動することが出来ません。形勢はナランチャの圧倒的優位となりました。スクアーロに向かってエアロスミスの機関銃から弾が発射されます。が、ここでティッツァーノがスクアーロを庇い、代わりに被弾します。ティッツァーノは仲間のため・任務の確実な遂行のために自らの血をナランチャに浴びせ、クラッシュがジャンプできる液体を作る覚悟を決めたのです(敵ながらカッコいい)。

 ナランチャが浴びた返り血を使って、クラッシュが瞬間移動してきます。大事な仲間であるティッツァーノを失ったスクアーロは激昂していました。彼はボスの命令のためではなく、仲間のティッツァーノのためにブチャラティチームの面々を抹殺することを決意し、クラッシュをナランチャの喉に喰いつかせます。しかし、ナランチャの目に恐怖や不安はありません。驚くほど冷静に、かつ力強い目つきでスクアーロを睨みます。そして、喉にクラッシュが喰らいついているという、普通に考えれば極めて危険な状態でも臆することなく言うのです。

ひるむ…………と!思うのか……これしきの………これしきの事でよォォォォォォォ

ナランチャ・ギルガ

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」35巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」35巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 エアロスミスが体当たりしスクアーロは飛ばされます。そして、「ボラボラボラボラ…!」の掛け声と共に機銃掃射が行われました。ハチの巣となり、さらに飛ばされたスクアーロは飛ばされながら疑問を呟きました。

こんな………圧倒的な『精神力』………「裏切り者のくせに」……ボスに始末される運命の…未来に絶望しかない者のくせに………こいつらを突き動かす………まるで希望があるかのような精神力

い…一体?

スクアーロ

 こうして、スクアーロは絶命。ナランチャ達は窮地を脱し、ヴェネツィアを脱出ることに成功します。ナランチャ「ジョルノを必ず救う」「ブチャラティ達と共にボスを倒す」という確固たる「覚悟」の勝利でした

 

 ラブライブ!サンシャイン!!の物語ではAqoursの面々がナランチャにも劣らない「確固たる『覚悟』」を見せてくれます。10月よりスタートした記念すべきアニメ第2期、千歌達は惜しくも全国大会出場を逃しましたが、浦の星の知名度アップには成功。1人だった入学希望者も10人に増えました。更に輝くため、彼女たちは近く行なわれる学校説明会で浦の星の良さをアピールすること、ラブライブ!優勝を目指すことを決意するのです。

 しかしながら、鞠莉のもとにかかってきた電話で事態は急変します。電話の主は鞠莉の父親。そして、電話の内容は浦の星女学院は来年度の新入生の募集を止める=廃校の決定」という冷酷なものでした。「2学期が始まったばかりなのに突然すぎる」と驚きの言葉を出すメンバーたちでしたが、学校側は数年前から統廃合を模索していました。しかも、鞠莉の父親は現在アメリカにいます。直談判というわけにもいきません。廃校を阻止しようにも、事実上手詰まりになってしまったのです。なお、アニメにおけるダイヤが鞠莉と果南に言った優しすぎる「ブッブーですわ。」や、鞠莉が千歌に言った「ちかっち…、ごめんね。てへぺろ。」といったセリフはこの事態の深刻さを示していると言えるでしょう。感情を無理やり抑える、茶化すといったことしか出来ない状態なのです。

 千歌達は大きく苦悩することとなります。「予選を突破していたら未来は変わっていたのか?」「どうしたら良いのか分からない…。」と答えなど無さそうな問いが頭を巡ることになります。学校の仲間たちにも諦めの表情が浮かびます。そんな中のとある夜、千歌は親友が用意してくれた千羽鶴を眺めたまま眠りにつきます。夢の中で、今まで自分たちが「輝き」を求めて、行なってきた事に想いを馳せます。そして、ずっと遠いどこかで輝く光に向かって飛んでいく紙飛行機を見るのです。

 千歌は目覚めました。家から学校まで全力で走っていきます。そして、グラウンドの上で全身全霊を込めて「がおーーーーーーーーーっ!!」と叫ぶのです。直後、彼女は高らかに言いました。

起こしてみせる!

「奇跡」を絶対にっ!

それまで……泣かない!

泣くもんか…!

高海千歌

 千歌は覚悟を決めたのです。「学校を救いたい」という彼女の中の正義を信じ、その正義のために苦難の道を突き進む覚悟。このときの彼女の目にもスクアーロと対峙したナランチャと同様、恐怖や不安はありませんでした。そこには形は無くても確かに存在する希望と強い意志がありました。

 

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ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期1話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 この覚悟を決めていたのは千歌だけではありませんでした。気付けばそこにはAqoursの9人全員がいました。彼女たちは何もすることも無いまま、浦の星を廃校としてしまう事を良しとしなかったのです。次々に「奇跡を!」と口にします。Aqours9人全員で最後の最後まであがく覚悟を決めた瞬間でした。そんな彼女たちの表情はとても清々しく、そして逞しい笑顔でした。

 こんなAqoursのメンバーからはナランチャが言った「ひるむと思うのか!」に匹敵するほどの気概を感じます。また、ブチャラティのような確固たる意志も感じます。このときの彼女たちの意志を、彼の台詞っぽく書けば

「希望さえ見つければ…今はあがくだけだが、学校は必ず救う。『希望』は必ず見つける!

といった感じでしょうか。なお、2話において、上述した意志を持った鞠莉が「どうしたら廃校を取り消してくれるのか?」という突っ込んだ質問をしたことで「入学希望者を100人に増やせば再考する」という条件を引き出します。非常に困難な条件ではありますが、かすかでも希望は見つかりました。

 ただ、あがくだけではなく、希望を見つけると決めたら絶対に希望を見つける。本当の「覚悟」とはこういうものか!と驚かされます。魅力しかありません。先ほども述べたことを繰り返すようになりますが、この覚悟とそれから生まれた勇気ある行動が、ジョジョ第5部とラブライブ!サンシャイン!!の両方に通じる事であり、我々にも勇気を与えてくれる魅力なのです。

 

4.真実に向かおうとする意志 -心が輝く方へ-

  「真実に向かおうとする意志」。この言葉をラブライブ!ジョジョの両面から考えたときに、私はラブライブ!に関する1つの大きな気づきを得ました。そして、今までの自分の半生についても大きな気づきを得たのです。それをこれから語りたいと思います。

 

 そのために今まで通り、ジョジョのあらすじを紹介するところから始めます。

 組織を裏切ったブチャラティ達はボスの親衛隊達からの猛攻に対処しながらサルディニア島に到着します。トリッシュによれば、ボスは若い頃にこの島で母親と過ごしていたことがあり、そのとき撮られた母親の写真はボスが撮影したものだと言うのです。これは、撮影した時のボスの様子をアバッキオムーディー・ブルースで再生すればボスの人相を知ることが出来るということを意味します。ボスの正体を知る必要がある彼らにとっては大きなチャンスでした。

 しかしながら、この島には「ドッピオ」という名の少年も来ていました。このドッピオですが、彼はボスのもう1つの人格です。「ドッピオ」と「ボス」では性格はおろか、顔や体格まで変わってしまうため、ボスにとっては最強の隠れ蓑になっていたのですアバッキオトリッシュの記憶を基に、ボスが彼女の母親の写真を撮った位置で再生をするのですが、そんな中で近くで遊んでいたサッカー少年に化けたボスの奇襲を受けてしまいました。彼の胸には大穴が空くことになってしまうのです。同時に彼のムーディー・ブルースは崩壊を始めます。

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」37巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 週刊少年ジャンプ連載当時、物語はアバッキオの胸に大穴が空いてしまう所でその週の話が終わりました。そして、その次の週の話はなぜかアバッキオが道路沿いのカフェテリアで1人食事をしているシーンから始まったのです。物語は次のように進みます。

 彼が食事をとっていると、どこからかガチャガチャという音が聞こえます。音のする方を見ようとテーブルの下を覗き込んでみると、少し離れたところで警官がビン捨て場にある大量のガラスの破片を掻き分けていました。

 アバッキオは警官に何をしているのかを問います。すると、警官は昨夜向かい側の歩道で強盗があり、被害者が犯人にビンで殴られたこと。現場には破片が全て揃っておらず、犯人がこのガラスをこの場所に捨てたという目撃証言があったことから、ここでビンを探していることを伝えました。目的は犯人が掴んでいた部分を探して「指紋」をとることらしいのですが、破片は無数にあります。恐ろしく骨が折れそうです。そんな警官を見ていたアバッキオには質問したいことが生まれました。そのときの会話は次の通りです。

 ああ…その…なんだ…

なにか?

いや…その参考までに聞きたいんだが  

ちょっとした個人的な好奇心なんだが

もし見つからなかったらどうするんだい?「指紋」なんてとれないかも……

いや…それよりも見つけたとして

犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になったとしたら

あんたはどう思って…そんな苦労をしょいこんでいるんだ?

そうだな…私は「結果」だけを求めてはいない

「結果」だけを求めていると人は近道をしたがるものだ………

近道した時真実を見失うかもしれない

やる気もしだいに失せていく

大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている

向かおうとする意志さえあれば

たとえ今回は犯人が逃げたとしても

いつかはたどり着くだろう?

向かっているわけだからな…………違うかい?

レオーネ・アバッキオ青字)、名もない警官橙色字

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」37巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」37巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

これを聞いたアバッキオはしばらく黙ってしまいます。そして、呟くのです。「うらやましいな……」と。

 

 「うらやましい」。これは私がラブライブ!というものに抱いていた最も強い感情です。ですが、このことに気が付くのには時間がかかりました。

 予め言っておきますが私はラブライブ!が大好きです。2013年にアニメで出会ってから一度も変わっていませんし、誰に何を言われようとも譲る気はありません。ですが、ラブライブ!を好きでいる上でずっともやもやするものがありました。

 SNS等でラブライブ!に関する呟きを見ていると「共感」という言葉をよく目にします。それほど、多くのラブライバーの方々がラブライブ!に共感の念を抱いているのです。しかしながら、私は違いました。もちろんキャラクターやキャストさんの行動は尊敬に値するとずっと思っていましたし、歌から勇気を与えてもらえることも多々ありました。ですが、どうしても「共感」という言葉がしっくり来なかったのです。

 そんなもやもやを抱えている内に2017年になり、気付けばAqours2ndツアーの神戸公演の日になっていました。私はフォロワーさんと一緒にLVに参加したのですが、帰り道で「HAPPY PARTY TRAIN」のカップリング曲である「SKY JOURNEY」の話になりました。私は「SKY JOURNEY」がHPTの続きであることを知らなかったのですが、フォロワーさんは知っていたのでどこで知ったのかを聞きました。すると、「歌詞カードを読めば分かります」という回答を頂けました。

 帰宅した私は歌詞カードを読んでみたのですが、そこで大きな衝撃を受けました。ラブライバーになって4~5年経つわけですが、そのとき始めて「共感」という言葉がしっくりと来たのです。先ほどのフォロワーさんには「SKY JOURNEY」は旅立ったAqoursが道中で出会った誰かの気持ちを歌った曲である」という旨の説明も頂いていたのですが、その「誰か」は歌詞の中で、Aqours「胸に確かなもの(この場合は意志でしょうか)を持っていれば、それだけで何とかすることが出来る」と言う事を優しく語ったり、「夢を叶えたいと思うから、諦めないことが大事である」と言う事を本気で語ったりすることが出来ることに疑問を覚えます。言葉にしたことはありませんでしたが、私もラブライブ!に触れる中で似たような疑問を抱いていたと思います。

 そして、この「誰か」はAqoursのためらいを感じさせない笑顔を羨ましいと思うのです。ここで私は気付きました。「羨ましい」と口に出したことは無かったのですが、確実にこんな気持ちが私の中にあったことを。

 この曲のAqoursは先ほど取り上げたジョジョの物語に登場した警官の様な意志を持っていると言えるでしょう。それを踏まえたうえで、ジョジョの物語とこの歌詞を見比べたときに私が「共感」出来なかった理由、そして今までの半生について大きな気づきを得たのです。

 

私は今までずっと「結果」だけを求めて生きてきた

 

 これはμ'sやAqoursの行動原理とは真逆のものです。「共感」なんて出来るわけがありません。やってきたことや考え方が彼女たちとは真逆なのですから。

 結果だけを求めてるくせして、はっきり言ってありとあらゆる事において効率よく、かつ正しく動くことが私は出来ません。当然、求めた結果は得られません。やる気は失せていきます。効率よく着実に結果を生み出していく人を見て、嫉妬心すら沸きます。そして、結果に結びつかなった行いを全て「無駄」として切り捨てます。当然、「無駄」として切り捨ててしまうのだから、そこから何も学ぶことは出来ません。言うまでもなく成長もしません

 多分、高校に入ったころにはこんな考え方になっていたと思います。そのまま、大学に入り、大学院に入り、会社に入りました。偏差値だの学歴だの収入だのと言った「結果だけ」を求めることを繰り返しながら、息苦しさと虚しさを抱えたままで。そんな中で「ラブライブ!」に出会いました。私は彼女たちの「どうすれば最高に輝けるか」「どうしたらみんなの夢を叶えられるのか」を追求する一種の「真実に向かおうとする意志」に惹かれました。でも、それは「共感」ではなく、「羨望」でした。これはアバッキオが警官に、もしくは「SKY JOURNEY」において旅をしてきたAqoursに出会った「誰か」がAqoursに抱いた感情に近いのかもしれません。

 

 生きていくうえで「結果」を求める事そのものはとても重要な事でしょう。上記のような内容の文章を書きましたが、それでも社会人であるならば「結果」もしくは「成果」を残せて然るべきだと思っていますし、私自身がそうあるべきだと考えています。しかしながら、「結果」だけを求めてしまうのは やはり虚しいことだと思います。ですから、ジョジョラブライブ!を通じて自分の今までの考え方に気付き、考え方を変えてみようかなと思えるようになったのは良かったと思っています。もっとも、「三つ子の魂百まで」という位ですから、三十路に入ってしまった私がこれを正すのは並大抵の技ではないでしょうが…。でも、「無駄」だと思って切り捨ててきた過去にもしかしたら「意味」があったのかもしれないと思えるだけでも幾らかは救われた気分になります。

 また、自分よりずっとずっと上の存在だと思っていたμ'sやAqoursのメンバー、そしてブチャラティチームの面々にいくらか近づけた気がしました。そして、近づけた気がしたことで多くのラブライバーの方々が感じた「共感」を私も感じられるかもと思えるようになりました。

 ですから、ジョジョラブライブ!、そして作品を通じて出会った方々には感謝したいものです。

 

 さて、辛気臭い自分語りが長くなってしまったので、「真実に向かおうとする意志」という観点でラブライブ!の魅力を語っていきましょう。

 

 μ'sやAqoursのメンバーは皆、「真実に向かおうとする意志」を持っていると私は考えております。例えばμ'sのアニメの1期3話は穂乃果たちのそのような意志を見ることが出来る回の1つです。皆さま知っての通り、講堂でのファーストライブはお客さんが"0人"という非常に辛い結果となりました(最終的にはμ'sになるメンバーが全員揃いますが、それでも講堂はスカスカです)。絵里からは「続ける意味があるのか?」と問われるのですが、穂乃果は力強く「続けます!」「やって良かった」と答え、続けて「この講堂を満員にしてみせます!」と宣言するのです。

 これは穂乃果達が純粋にスクールアイドルをやることが楽しいと感じ始めていて、その中で「どうすれば最高に輝けるのか」という真実に向かい始めていたからだと考えています。最高に輝くということを求めていたからこそ、"0"という結果に囚われることなく、次に進むことが出来たのだと思うのです。

 2期8話では希の願いであった「みんなで言葉を紡いで1つの歌を作る」という夢を叶えることになります。これはこの歌を引っ提げて「最終予選」という大舞台かつ極めて重要な局面に立つことを意味しており、パフォーマンスの完成度を高めるという観点からすれば、極めてリスキーです。決勝進出という「結果」だけを求めていれば、十中八九この選択はしないでしょう。

 しかし、このときのμ'sのメンバーは皆「どうしたらみんなの夢を叶えられるのか」という真実に向かう道を進んでいます。だからこそ、にこや凛の願いも叶いました。そして、そんなμ'sのメンバーだからこそ、リスクを取ることになっても「希の望み」を叶える道を選べたのです。

 

 Aqoursの場合ですと、その物語は最初から最後まで「真実に向かおうとする意志」の連続だと言えるでしょう。アニメの1期においては、例えば千歌が梨子をスクールアイドルに誘うとき、当初はいくらか強引な誘い方をするのですが、梨子がピアノを楽しめなくなったことを聞き、スクールアイドルになるか否かは関係なしに海に潜ってみることを進めます。これは、千歌が「スクールアイドルの魅力は皆を笑顔にできることである」という真実に気付いており、それ故に梨子にスクールアイドルになってもらうという「結果」よりも笑顔になってもらうという「真実」を強く求めたことによるものでしょう。この行動は「梨子がピアノが大好きであった」という「真実」に到達するための重要な第一歩となりました。

 1期6話でPVを作った時は、鞠莉が内浦の魅力を聞こうとはせず、自分たちの力で知ることにこだわりました。内浦の魅力を知るという「結果」だけに囚われていなかったのです。この行動により、自分達の心で自分達が感じた内浦の魅力という「真実」に到達することが出来ました。

 1期8話では東京で開催されたイベントに参加するも、応援する人が0という大変に苦しい「結果」にぶつかることとなります。それでも彼女たちはスクールアイドルを続けることを決意しました。「スクールアイドルとして輝く」という「真実」に向かおうとする意志を強く持っていたからこそ、"0"という「結果」に敗北しなかったと言えるでしょう。

 

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ラブライブ!サンシャイン!!8話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 1期13話では、先述の通り大会の規則を飛び越えて、内浦の魅力を伝える寸劇を行ない、応援してくれる皆で歌うという決断をしました。彼女たちは大会の「結果」を軽視していたわけではありません。ですが、「応援してくれる皆で輝く」「0を1にする」という「真実」を追い求めることをやめなかったのです。この行動は、地区予選には敗北するも、入学希望者を0人から1人にするという「結果」にはつながりました。「真実」を追求したうえで勝ち得た、価値ある「結果」です。

 このように、アニメ第1期ではAqoursの9人は「真実に向かおうとする意志」を強く感じさせる行動をとり続けていたのです。

 

 「真実に向かおうとする意志」は2期に突入しても健在です。3話では学校説明会が1週間延期されたことで、説明会と予備予選がダブルブッキングしてしまうという緊急事態に遭遇します。悩んだ末に9人を5人と4人に分けるという選択をするのですが、5人になったAqoursは予備予選会場のアウェーな雰囲気にのまれそうになるのです。しかしながら、「勘違いしないように!」という一声で状況は一変します。声の方には説明会に出席しているはずの4人がいました。Aqours9人が揃ったのです。これにより全力を発揮することが出来ました。結果、会場からは大きな拍手と歓声を得ることが出来ました。

 さて、こうなると説明会をどうしたのかが問題になりますが、彼女たちは諦めていませんでした。通常なら山の上にある予備予選の会場から、学校まではバスを使って遠回りするしかないのですが、彼女たちは斜面に設置されたモノラック=蜜柑を輸送するための農業用モノレールを使ってショートカットをするという大胆な手を取ったのです。なお、本来モノラックは遅いものなのですが、幸か不幸か果南がレバーを壊してしまったことで、重力に従って斜面を全速力で駆け抜けることとなりました。物凄く危険ですが、これにより大きな時間短縮が可能になりました。(このときの彼女たちの気分をジョジョ的に表すならば、「突っ切るしかねぇッ!真の「覚悟」はここからだッ!『Aqours』!てめーらも腹をくくれッ!」という感じだったと思います。多分)

 モノラックを降りた後は、脚を使って駆け抜けていきます。全力パフォーマンス+ジェットコースター状態となったモノラック完乗を経た後という体力的には極めて厳しい状態でしたが、彼女たちは説明会に到達することに成功。来場者たちの前で9人で「君のこころは輝いてるかい?」を披露することを成し得たのです。「学校説明会は大切」「予備予選も大切」「Aqoursは9人が揃ってこそのAqours」とう全ての「真実」を追求した彼女たちのギリギリの勝利でした。なお、「君ここ」を歌い終えた後、千歌は次のように述べています。

どっちにするかなんて…選べないし…。

どっちも叶えたいんだよ!

 

だから行くよ!

諦めず心が…輝く方へ!

高海千歌

 この言葉には彼女たちなりの「真実に向かおうとする意志」が詰まっているのではないでしょうか。アニメ第1期のファンブックにおいて酒井監督は「人間が持つ根源の動機は、絶対"真実"じゃなくてはいけない。」と述べています。「輝きたい」は1期1話から続く彼女たちの"純粋な欲"であり"真実"です。ですから、輝く方へ行くということは、真実に向かう事を意味していると私は考えます。

 

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ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期3話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 

 

 さて、ここまで「真実に向かおうとする意志」について長々と書いてきましたが、話はまだまだ終わりません。ここからは「真実に向かおうとする意志」は引き継がれるということについて書いていきます。

 さきほど、アバッキオ「うらやましいな……」という台詞を紹介しましたが、このセリフには続きがあるのです。

うらやましいな………

以前オレは…警官になりたいと思っていた…

子供のころから……ずっと

りっぱな警官に…………なりたかったんだ………

かつてあんたのような「意志」をいだいていた事もあった………

でもだめにしちまった…………オレって人間はな………

くだらない男さ

なんだって途中で終わっちまう

いつだって途中でだめになっちまう…………

レオーネ・アバッキオ

 アバッキオはかつて自分の行動のせいで相棒を死なせてしまった過去を思い出しながら、自虐的に呟きました。ですが、優しく照らす太陽光の下で、指紋を探していた警官は驚くことを言うのです。

そんな事はないよ…………アバッキオ

え?………………

おまえはりっぱにやってるじゃあないか……………………

「意志」は同じだ……………

おまえが警官になったばかりの時いだいていたその「意志」は……

今…おまえのその心の中に再び戻っているのだよ…………………

アバッキオ

レオーネ・アバッキオ青字)、名もない警官橙色字

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」37巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 その警官は何故かアバッキオの名前を知っていました。アバッキオは驚きます。それと同時にその警官に見覚えがあると感じたのです。次の瞬間、アバッキオは道路の反対側に停車しているバスに向かい始めました。仲間の所に戻るためです。しかし、警官に止められ、同時にアバッキオはそのバスでここに来ており、終点であるここから戻ることは出来ないこと」を告げられるのです。ここは死後の世界。アバッキオの魂が天に昇る直前に見た精神の世界でした。そして、アバッキオはもう一つの重要なことに気が付きます。

あ………あんたは……!!

そうだ!!あんたはッ!!

あんたはオレがワイロを受け取ったせいで撃たれて殉職した…………!!

アバッキオ……おまえはりっぱにやったのだよ……………

そう…………

わたしが誇りに思うくらいりっぱにね………

レオーネ・アバッキオ青字)、名もない警官橙色字

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」37巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 その警官はアバッキオが暗黒面に落ちるきっかけとなった事件で殉職した相棒だったのです。この警官はアバッキオの行動が1つの原因となり死亡したと言えますが、彼の顔にはアバッキオへの恨みや憎しみは一切ありません。アバッキオの行動を称える警官の表情はとても優しいものでした。

 

 この後、場面は現実世界でアバッキオの遺体を見下ろすジョルノ達を写した光景に変わります。アバッキオの死に直面し、黙り込んだり叫んだりするしか出来ない彼らでしたが、すぐにブチャラティはここを離れるよう命令を出します。ボスがまだ近くにいて、娘のトリッシュを抹殺しようとする可能性が高かったからです。が、ジョルノはアバッキオが手に何かを握っている事に気が付きます。彼はそれをてんとう虫に変え、もとあった場所に案内させました。そこには石碑がありました。そして、その石碑を見ると男の顔と手、そして指紋がくっきりと残されていました。ボスに致命傷を負わされたとき、再生は終わっていませんでした。が、アバッキオは諦めなかったのです。最後の最後までその意志を貫いて、ジョルノ達にボスの人相を残しました。アバッキオは死ぬことになりましたが、その意志と希望はブチャラティやジョルノ達に届いたのです

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」37巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 死後の世界からアバッキオの意志が引き継がれる様子を見ていたアバッキオと警官。アバッキオに対し、警官は言いました。

アバッキオ

おまえはりっぱにやったのだ

そしておまえの真実に『向かおうとする意志』はあとの者たちが感じとってくれているさ

大切なのは…そこなんだからな……

名もない警官=アバッキオの相棒

 

 ボスの人相を手に入れたブチャラティ達は様々な情報を当たり、ボスの正体を探ります。その過程で突如、謎の男からの通信が入ります。その男の表情は全く分かりませんでしたが、彼は「ボスの名前がディアボロであること」「彼自身も15年間ディアボロを追っていること」を伝えてきたのです。当初ブチャラティ達は彼を信用していなかったのですが、その男はディアボロのスタンドの「時間を消し飛ばす」という能力を知っていました。自分の過去を徹底的に消し去っているディアボロが、自分の能力を知った部下を生かしておくはずはありません。そして、その男はスタンドを開花させる力を持った石で出来た「矢」と、その「矢」によってスタンドがさらに進化する可能性があることを伝えてきました。これもディアボロが知れば確実に男を抹殺しに来るような内容です。ブチャラティ達は彼を信じることとし、落ちあう場所として指定されたローマのコロッセオに向かいました。なお、コロッセオで判明することなのですが、この男の名はジャン・ピエール・ポルナレフジョジョ第3部では主人公「空条承太郎」と共に宿敵DIOを倒した中心人物です。ですが、過去にディアボロに遭遇した時に深手を負わされており、第5部では自分で歩くことも出来ないほどの体になってしまっています。

 ディアボロの親衛隊であり、ジョジョシリーズでも5本の指に入るレベルのゲス野郎であるチョコラータと、その相棒セッコを倒し、なんとかブチャラティ達はコロッセオに到達しました。しかし、そこで重大な問題が発生します。彼らを追ってきたディアボロが、彼らより先にポルナレフに会ってしまったのです。ディアボロに矢を奪われそうになったポルナレフは仕方なく、自らのスタンドに矢を突き刺します。これにより、矢を一時的に守ることには成功したのですが、進化したポルナレフのスタンドは矢を掴んだまま暴走してしまいました。しかも、矢を奪おうとそのスタンドを攻撃すると、自分がダメージを受けてしまいます。ブチャラティ達は矢を使うに使えない状況に陥ってしまいました。

 そんな中で悲劇は突然起こります。ナランチャディアボロの手にかかり死亡してしまうのです。虚しすぎるほどあっさりと。悲しむ余裕もないため、ナランチャの遺体をその場に残し、彼らは暴走したスタンドを追いかけます。ですが、運命は非情でした。今度はスタンドを攻撃する方法=矢を奪う方法を見つけたディアボロが矢を手にしてしまうのです。それでもジョルノが機転を利かせたことでディアボロに矢を落とさせることに成功しますし、トリッシュが取った決死の行動でいくらかの時間稼ぎは出来ました。しかしながら、ディアボロキング・クリムゾンを使った奇策のおかげで再度、矢は奪われかけるのです。

 しかし、流れは変わります。ジョルノやトリッシュの行動により生まれた少しの時間の間にブチャラティが暴走したスタンドに近づいていました。さらに、彼はディアボロが知ったスタンドを攻撃する方法に気付いていました。詳細は省略しますが、それはディアボロから確実に矢を奪い返す方法でした。が、同時にそれは「生ける屍」となった体を辛うじて動かしていたブチャラティの魂が天に昇る=確実な死に至る方法でした。ディアボロブチャラティに止めるよう言います。が、ブチャラティの意志は固まっていました。躊躇なくその方法を実施します。その結果、矢はディアボロのもとを離れ、ジョルノの手に渡りました。そして、同時にブチャラティの魂は天に昇って行ったのです。「あとは………ジョルノ…まかせたぞ………………」という言葉を残して。

 

 ブチャラティが天に旅立った直後、怒りに震えるボスが体を起こします。

誰が言った言葉……………だったか……………

『我々はみな運命に選ばれた兵士』

え?くそ……だが……この世がくれた真実もある………

運命はこのオレに………「時をとばし」……………

「予知」ができる能力を…授けてくれた…

間違いない……………それは明らかな真実だ…

この世の運命は我が『キング・クリムゾン』を無敵の頂点に選んだはずなのだ………オレは『兵士』ではない

くそーーッ!!そのオレに対してッ!!この手の中にッ!

あの「矢」がこの手の中にないッ!

ディアボロ

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 そんな彼の目の前には矢を掴んだジョルノがいました。ジョルノは矢を自らのスタンド「ゴールド・エクスペリエンス」に突き刺します。一度は矢が貫通しきってしまいポロっと地面に落ちてしまったため、失敗したかに思えました。が、矢は独りでにゴールド・エクスペリエンスのもとに戻ります。そして、額で固定されました。そうしている間に脱皮するかの如く新しいスタンドが生まれていました。矢によって進化したスタンド「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」です。

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 新しいスタンドを手にしたジョルノはディアボロに語り掛けました

生き残るのは…………この世の「真実」だけだ……

真実から出た『誠の行動』は…………決して滅びはしない………

ブチャラティは死んだ……

アバッキオも…ナランチャも…

しかし彼らの行動や意志は滅んでいない………

彼らがこの「矢」をぼくに手渡してくれたんだ

そしておまえの行動が

真実から出たものなのか……………

それともうわっ面だけの邪悪から出たものなのか

それはこれからわかる

あんたははたして滅びずにいられるのかな?

ボス……

ジョルノ・ジョバァーナ

 ディアボロはすぐさま時を消し飛ばしました。ジョルノの動きはスローモーションのようになり、自分だけが認識できる消し飛んだ時間の中で難なく攻撃をかわします。そして、エピタフの効果によりキング・クリムゾンのパンチがゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの胸を貫く予測が見えました。勝てる未来を予測したディアボロは実際にパンチを繰り出しました。

 しかし、ここで異変が起こります。近くを飛んでいた虫がなぜか後ろ向きに飛んでいたのです。それだけでなくミスタが撃った弾丸も銃に戻っていきます。それはまるで時間が巻き戻っていくようでした。これはジョルノ自身も気付くことが出来ない「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」の能力によるものでした。その能力とは「攻撃してくる相手の動作や意志の力を全て「ゼロ」に戻してしまう」というもの。1だろうが、10だろうが、100だろうが「ゼロ」に戻ってしまいます。これにより、ディアボロが見た予知という「真実」に到達することは無くなり、時間を消し飛ばす直前の状態にまで戻ってしまったのです。ジョルノを難なく殺害出来ていたはずのディアボロはひどく動揺します。彼は叫びます

オ…オレのこの「予知」は!!

絶対にこれから起こる『真実』なんだッ!!

オレの無敵の『K(キング)・クリムゾン』は!!

勝利に向かうはずなんだ!!

ディアボロ

 しかし、ディアボロがその「真実」に到達することはやはりありませんでした。ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムのラッシュが炸裂します。ディアボロはボコボコにされ、そのまま川まで飛ばされました。そして、彼には非常に恐ろしい末路が待っていたのです。

 何とか一命を取り留め、ディアボロは下水管の川への放出口によじ登ることに成功します。が、その直後衝撃を受けました。目の前にはナイフを持った麻薬中毒者がいます。そして、自分の腹を見ると大量の出血がありました。ディアボロ麻薬中毒者に刺されてしまったのです。何故か反撃することも出来ず、その場でのたうち回ることになります。結果的に彼にも死が訪れたのです。

 と、本来はなるところなのですが、気が付くと彼は遺体安置室のストレッチャーの上で目覚めます。意識はあります。が、体は動かないし声も出ません。すると、目の前には検死を担当する医師がいました。彼女はディアボロの肝臓を取り出してしまったのです。どんでもない苦痛を感じます。ついにディアボロにも本当の死が訪れました。

 と、なりそうなものですがなりません。気付けば彼は知らない町の路上で膝をついて呆然としていました。訳が分かりません。すると、後ろからお爺さんに声をかけられました。それと同時にお爺さんが連れていた犬に吠えられてしまうのです。ひどく驚いたディアボロはそのまま姿勢を崩し、道路に倒れこんでしまいました。そこに自動車が突っ込んできます。こんどこそ死が訪れたかと思いましたが、彼は死にません。厳密に言うのであれば「死ぬという過程」を経るのですが、「死んだという結果」に到達しないのです。

 これはゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの能力のとんでもない特性によるものでした。その特性とは「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムに殴られたものは「死んだこと」さえも「ゼロ」に戻ってしまうというものです。これにより、ディアボロは無限に繰り返し「死に続ける」ことになってしまいました。最終的には、心配そうな顔をして近づいてきた幼女を見て「オレのそばに近寄るなああーーーーーーーーッ」という悲痛な叫びを残して、この物語での出番を終えるのです。

 

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 この物語でブチャラティアバッキオナランチャの3名がこの世を去ってしまいました。しかしながら、彼らの「真実からでた誠の行動」により「真実に向かおうとする意志」はジョルノ達に引き継がれ、ディアボロに勝利するという結果をもたらしたのです

 

 話をラブライブ!に移しましょう。μ'sにせよAqoursにせよ彼女たちの「真実に向かおうとする意志」もまた引き継がれていきます。μ'sの意志は穂乃果が抱いた「学校が好き。だからこそ廃校から救いたい」という気持ちから始まります。そして、この意志を基に始まったスクールアイドル活動はすぐに「輝きたい」という新しい意志が生まれるきっかけとなるのです。この「真実に向かおうとする意志」はまずは海未とことり、さらには花陽、凛、真姫、にこ、希、絵里というよう、後にμ'sのメンバーとなる少女たちに引き継がれ、音之木坂を廃校から救い、かつ輝くための大きな力となるのです。また、この意志は学校の友人や家族と言った周囲の人物にも伝わり引き継がれていきます。意志が伝わったことで、「神モブ」と呼ばれるヒデコ、フミコ、ミカという心強いサポーターを得ますし、雪穂や亜里沙といった最高の理解者を得ることも出来ました。μ'sの意志は彼女たちを支えてくれる「みんな」を生んだのです。

 引き継がれた意志はμ'sを窮地から救う結果も生みました。1期12話では11話で穂乃果が倒れてしまったことをきっかけとしてラブライブ!への出場を辞退するという事態に遭遇します。その上、ことりが留学することが決まっており、前々から穂乃果に相談したかったがラブライブ!に夢中になり過ぎていた故に相談出来なかったという事実が判明するのです。「自分のせいでラブライブ!出場を逃しただけでなく、親友の心を深く傷つけてしまった」という結果に囚われた穂乃果は、廃校阻止が確定した状況も相まってスクールアイドルを続ける意味を見失い、「止める」とまで言ってしまうのです。これに海未は怒り、「最低です」とまで言うこととなります。μ'sが空中分解しかねない最大の危機でした。この危機的状況を打破してくれたのは穂乃果の意志を引き継いだ仲間たちでした。神モブの3人は穂乃果に「学校のみんなが穂乃果達に本当に感謝していること」を伝えます。スクールアイドルを止めたことも「学校を救うという目標を達成した上でやめるのだから良い」と言い許容しました。これにより穂乃果の頭から消えかけていたであろう「学校のみんなが誇りに思うくらいμ'sが立派にやった事」消えずに済みました。

 また、神モブ3人と穂乃果の4人でゲームセンターに行くのですが、そこでやったダンスゲームで踊る事そのものの楽しさを思い出します。さらに、同じく意志を引き継いだにこからの叱咤激励や絵里が抱いていた気持ちを聞くことにより、「スクールアイドルが楽しいという気持ち=1つの『輝くこと』の形」を取り戻すのです。彼女の中で失われかけていた「真実」が息を吹き返しました。このことで穂乃果は海未に自分の本当の想いを伝えました。が、穂乃果の親友であり意志を引き継いだ者の1人で、誰よりも穂乃果のことを理解している彼女にはすでに伝わっていました。海未が怒ったのは穂乃果が嘘をついていたからであり、「穂乃果がスクールアイドルそのものを楽しんでいる」という「真実」は海未もきちんと分かっていたのです。2人の心の溝が埋まったところで、穂乃果はことりを迎えに行きます。「μ'sは9人でなくてはならない。ことりの存在は必須」というわがままかもしれないが、同時に彼女たちの中の確かな「真実」を掴むためです。この行動によりことりはμ'sに戻ってきました。μ'sは新たなるスタートを切ることが出来たのです。(このことが無ければ穂乃果の未来も、アバッキオの如く終わってしまっていたかもしれません)

 2期に突入しても引き継がれた意志の力は健在でした。9話では2年生3人が大雪に道を阻まれる中、学校の仲間たちが会場までの道を切り開いてくれます。10話では意志を引き継いだ仲間たちが自分たちを支えてくれていることに気が付き、μ'sを示す言葉「みんなで叶える物語」が生まれる原動力となります。12話から13話にかけては、支えてくれるみんなの応援を受け、μ'sは見事にラブライブ!優勝を勝ち取るのです。

 劇場版において「真実」はさらに広範囲に拡がります。彼女たちは3年生が卒業したらμ'sを終わらせる決断をしていました。その上で「自分たちがいなくてもスクールアイドルがずっと広がり続けていってほしい」「みんなにそれぞれの輝き方で輝いてほしい」という「真実」を求めて行動するのです。その行動の結果が秋葉原で全国のスクールアイドルや支えてくれるみんなで作り上げたライブです。「真実に向かおうとする意志」は全国に伝わり、スクールアイドルはとてつもなく大きくなりました。それは、決勝戦が約5万人を収容できるアキバドームで開催されるほどのものでした。そして、全国の学生たちが「輝きたい」という「真実」に向かって切磋琢磨するようになったのです。

 Aqoursの意志は千歌が抱いた「輝きたい」から始まります。これはまずは曜と梨子に伝わり、次いで輝きたいけど輝き方が分からなかった花丸、ルビィ、善子、そして輝こうとしたけど挫折してしまったダイヤ、果南、鞠莉に伝わります。彼女たちの輝きへの道はスクールアイドルそのものや、サポートや叱咤激励というような様々な形を経由し、1期9話において9人が揃ったAqoursという形で結実するのです。

 Aqoursが活動を進める内に、彼女たちが通う浦の星にも廃校の危機が訪れます。そうした中で、新たに「学校が好き、だから救いたい」「内浦の町も大好き、だから多くの人に知ってもらいたい」という意志が生まれます。この意志は彼女たちの家族や町の人々、そして学校の仲間たちに伝わり、大きなうねりとなるのです。1期13話において、当初は「廃校になるのも致し方ない」と考えていた友人たちが「学校を救いたい」と考えるようになり、協力を申し出たり、地区予選において内浦の仲間と共に歌ったりしたことは、まさにAqoursの意志が伝わった結果でしょう。この「真実に向かおうとする意志」による行動の結果は、皆さまご存じの通りです。

 2期7話ではラブライブ!東海地区大会をトップで突破という奇跡とも呼べる結果を得たものの、浦の星女学院の入学希望者が100人にわずかに届かず、廃校が今度こそ確定してしまいました。その後も前へ進むためにラブライブ!全国大会優勝へ向けて練習をするも「泣かない!」と決めた千歌の目からは涙がこぼれていました。「廃校確定」という現実を受け止めきれなかったのです。これは他のメンバーも同じでした。彼女たちは決勝に出るか大いに迷う事となりました。「浦の星を廃校から救う」という目的を喪失したことで、ラブライブ!に出場する意味を見失ったのです。特に皆をけん引してきたリーダー千歌への精神的ダメージは深刻でした。それは誰よりも全力で輝きに向けて突き進んできた彼女に「学校が救えなかったのに…輝きが見つかるなんて思えない!」「今はラブライブ!なんてどうでも良くなってる!」と言わせてしまうほどだったのです。ですが、こんなAqoursに進むべき道を示したのは彼女たちの意志を受け取っていた学校の仲間たちでした。ヨシミ、イツキ、ムツの3人は屋上にいるAqoursの面々に向かって叫びます。

じゃあ、救ってよ!

だったら、救って!ラブライブ!に出て、優勝して!

ヨシミ、イツキ、ムツ

 ここから想いのラリーが始まります。

みんな…

出来るなら、そうしたい!みんなともっともっとあがいて!そして…!

そして?

そして…学校を存続させられたら…

それだけが学校を救うってこと!?

私達、みんなに聞いたよ。千歌たちにどうしてほしいか、どうなったら嬉しいか。みんな一緒だった。ラブライブ!で優勝してほしい!千歌たちのためだけじゃない、私たちのために、学校のために!この学校の名前を…残してきてほしい!

学校の…

千歌たちしかいないの!千歌たちにしか出来ないの!「浦の星女学院 スクールアイドル Aqours」その名前を…ラブライブの歴史に!あの舞台に!永遠に残してほしい!Aqoursと共に、「浦の星女学院の名前」を!だから…だから…だから!

「輝いて」!!

千歌ダイヤヨシミ、イツキ、ムツと仲間たち

全力であがいて、あと少しで廃校を阻止できるというところまで来たのに、廃校を阻止出来なかったAqours。彼女たちは「廃校の確定」という結果に囚われ真実を見失っていました。「学校を救う」手段は「廃校の阻止」だけではなかったのです。ラブライブ!で優勝して輝くことで、学校の名前を残す」という「輝くこと」と「学校を救うこと」の両方の真実に向かう進むべき道を学校の仲間たちが示してくれました。千歌の心の中にあった「真実」も息を吹き返します。彼女は高らかに宣言するのです。

優勝する!

ブッチ切りで優勝する!相手なんて関係ない!

アキバドームも、決勝も関係ない!

優勝する!

優勝して…この学校の名前を!一生消えない思い出を作ろう!

高海千歌

  彼女の目から今度こそ迷いの色は消えました。千歌を含むAqoursのメンバー、そして、学校のみんなの意志が確固たる「真実に向かおうとする意志」に進化した瞬間でした。彼女たちの追い求めるべき真実を見極めたからでしょうか、彼女の目の前を飛んで行った羽根はμ'sの色であった白から、Aqoursの色である水色へと変化したのでした。

 2期12話では決勝大会に臨む直前のAqoursの姿が描かれます。ラブライブ!の歴史に浦の星女学院の名前を刻むべく上京してきた彼女たちですが、ふと千歌はAqoursのメンバーの前で問いかけます。

私達、ラブライブ!に優勝して、浦の星の名を残して…それでいいんだよね…?

高海千歌

 ラブライブ!で優勝して浦の星の名前を残すことを目的に尽力してきた彼女たちですが、それでも「輝くこと」を誰よりも真剣に追い求めていた千歌だからこそ抱いた疑問と言えるでしょう。神田明神で聖良に次のような問いかけをされており、それに明確な答えを出せていなかったこともあるかもしれません。

勝ちたいですか?千歌さんがいつか、私に訊きましたよね。ラブライブ!…勝ちたいですか?それと、誰のための…ラブライブ!ですか?

鹿角聖良

この言葉で考え込む彼女たち。ひとまず、枕投げで気分を高揚させましたが、心のモヤモヤを晴れさせてから大会に臨むために、各人が自らの心に問いかける時間を作ることにしました。その中で千歌はメンバーたちに「ラブライブ!で勝ちたい?」と問いかけていきます。メンバーたちはこの問いかけに「勝ちたい」と答えます。そして、そこには1期の時点ではハッキリとしていなかった、各人それぞれの明確な「勝ちたい」という意志、そして「勝ちたい理由」という真実がありました。かつて千歌から「真実に向かおうとする意志」を受け取った花丸ルビィ善子(ヨハネ果南鞠莉ダイヤ梨子それぞれが抱いた「真実」と「意志」が千歌に引き継がれた瞬間でした。各人の答えを受け止めている千歌の表情は次第に晴れていっているように思えました。彼女たちの物語が始まったUTXの前で、曜と梨子から発せられた千歌ちゃんは?勝ちたい?という問いに千歌は全力で答えます。

私も全力で勝ちたい!勝って!輝きを見つけて見せる!

高海千歌

彼女の中で「輝きたい!」という意志と「勝ちたい!」という意志が一致し、確固たる「真実」に進化した瞬間でした。「真実に向かおうとする意志」のバトンは一巡し、彼女たちを更なる高みへと昇らせる大いなる力となったのです。

 Aqoursはこの決勝で1つの集大成ともいえる曲「WATER BLUE NEW WORLD」を披露します。そして、彼女たちの「輝きたい!」「勝ちたい!」という「真実」はそのパフォーマンスを観ていた者たちの心を確実に揺さぶりました。かつて、鹿角聖良は次のようなことを述べていました。

ステージって、不思議とメンバーの気持ちが、お客さんに伝わるものだと思うんです。今の皆さんの気持ちが、自然に伝われば…きっと、素晴らしいステージになると思います!

鹿角聖良

 この言葉は確かだったようです。「WATER BLUE NEW WORLD」の歌詞にはAqoursとして活動してきた彼女たちが体験してきたことから生まれた気持ちが詰め込まれています。それは先述した「輝きたい!」「勝ちたい!」という想いに繋がる確かな「真実」です。彼女たちの気持ちが自然と伝わったステージは素晴らしいものとなりました。アキバドームは盛大な喝采で包まれます。結果、Aqoursラブライブ!優勝を果たしました。ラブライブ!で優勝して輝くことで、学校の名前を残す」という「輝くこと」はここに達成されたのです。そして、アキバドームの外のUTXでのモニター前では、ステージ上で輝きを放つAqoursの姿を見て、瞳を輝かせる2人の少女がいました。彼女たちの「真実に『向かおうとする意志』」は、これから輝くかもしれない2人の少女達が感じ取ってくれたのでしょう。作品は違いますが、アバッキオの同僚の警官が言った大切なことはここでも果たされたのです。

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ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期12話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 ラブライブ!の歴史においては、μ'sとAqoursの2つの物語を跨いだ「真実に向かおうとする意志」の伝播もありました。サンシャイン!!1期12話において、Aqoursは自分たちがμ'sと何が違うのかを知るために東京に赴きます。そこで、Saint Snowの2人とラブライブ!に出る理由について語り合ったり、音之木坂でμ'sが何も残さなかった事を知ったりする上で、「自分たちに必要なことはμ'sの背中を追いかける事ではなく、自分達の意志で自分たちの進みたい方向へ進むこと」であることに気が付いたのです。これに気付いたことでμ'sが抱いた「自分たちがいなくてもスクールアイドルがずっと広がり続けていってほしい」「みんなにそれぞれの輝き方で輝いてほしい」という「真実」Aqoursに引き継がれました。μ'sの「真実に向かおうとする意志」を後の世代のAqoursが感じ取るという大切なことが叶ったのです。このとき、千歌は白い羽根を受け取りました。これはμ'sの「想い」「意志」「真実」の象徴でしょう。

 ジョジョ第5部ではジョルノがブチャラティから「矢」という形で、ラブライブ!サンシャイン!!ではAqoursがμ'sから「白い羽根」という形で、それぞれの「真実に向かおうとする意志」を受け取ったのです。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

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ラブライブ!サンシャイン!!12話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 ジョジョにおいてジョルノが「真実から出た『誠の行動』は決して滅びはしない」と述べています。これはラブライブ!にも通じていることだと思います。アニメや漫画にせよ、リアルにせよ、μ'sが築いたものは確固たる礎となり、ラブライブ!が大きく広がる上で今でも多大な影響力を持ち続けています。そして、アニメ・漫画・リアルの全てにおいて物語も曲も決して色褪せません。アニメにおいてμ'sは表舞台からは去っていますし、リアルにおいてはワンマンライブはFINALを迎えています。それでも、μ'sは決して廃れおらず、現在も輝き続けているのです。それは、彼女たちの行動が「真実から出た『誠の行動』」だったからではないでしょうか。私はそう思います。

 先日ラブライブ!サンシャイン!!2期が完結しました。詳しくはこの後で書きたいと思っていますが、彼女たちが最高に輝く結末に到達したことは否定する余地はないでしょう。そして、彼女たちが最高に輝く結末に到達したことは必然だったと思います。なぜなら、彼女たちは徹頭徹尾「輝きたい」という「真実」に向かい続けていたのですから。

 

5.眠れる奴隷 -雨の中でも、輝きを信じて-

 

 本章のタイトルである「眠れる奴隷」ですが、これはジョジョ第5部のエピローグの副題です。これはジョジョ第5部の重要なテーマの1つです。そして、この物語はとても辛く・悲しい、だけれども確かな希望がある物語なのです。さらに、私はこれがラブライブ!サンシャイン!!にも通じる重要な要素だと考えているのです。

 

 では、早速本題に入りましょう。まずは、ジョジョのストーリーを追いかけます。物語はジョルノ達がディアボロを制した直後、ジョルノが天を見上げるシーンから始まります。天に昇ったブチャラティがジョルノに語り掛けてきます。

ジョルノ…それでいい………気にするな………

それで…ジョルノ

オレたちがここまで到達したことが………

完全なる…勝利なのだ

これでいいんだ全ては…

運命とは『眠れる奴隷』だ……

オレたちはそれを解き放つことができた……

それが勝利なんだ………

ブローノ・ブチャラティ

 足元で音が鳴りました。そこにはブチャラティから託された「矢」がありました。ここで場面は過去、ブチャラティがジョルノに出会う直前に移ります。

 

 ミスタ、フーゴナランチャアバッキオの4人が食事をとっていると、ブチャラティが戻ってきました。彼は空港を仕切っていた(縄張りとしていた)「涙目のルカ」が変死体で見つかった原因を調査するよう命令を受けていました。命令に取り掛かろうとするブチャラティでしたが、奥に見慣れない男がいることに気が付きました。フーゴに確認したところ、彼が普通の花屋の主人で、半年ほど前にひとり娘を亡くしていること、そして朝からずっとブチャラティを待っていることが分かりました。花屋の主人は脚を悪くしているようで、フーゴに支えられながらブチャラティの元に通されます。

 ブチャラティは開口一番「ブチャラティ達に話し始めた瞬間に「組織」に大きな借りを作ること」「きちんと納税しているのであれば警察や法を執行している場所へ行くべきであること」を伝えました。しかし、主人は話し始めます。彼の話によれば娘には数か月前に駆け出しの彫刻家だというボーイフレンドが出来、まもなくそのボーイフレンドが住むマンションから娘が飛び降り自殺をしてしまったようです。しかも、飛び降りる時にボーイフレンドが掘った「妙な形の石」を抱きかかえていたとのこと。直後、主人は家族の全財産だという大金を出し、そのボーイフレンドに報いを与えるようブチャラティに頼むのです。

 この街で起こる殺人事件は全てブチャラティの耳に入るので、殺人であるはずがないと言いましたが、主人は「家族にだけわかることがある」「娘は自殺をする性格ではない」と言って譲りません。彼は何が娘を自殺に追いやったのかを知りたがっており、同時にボーイフレンドが裁かれることを求めていました。ブチャラティは自分たちが殺し屋ではないとして一度は断ろうとするのですが、彼の「家族にだけわかることがある」とう言葉に心を打たれ、口を割らせるだけ割らせるという形で依頼を受領することにしたのです。ブチャラティはこの仕事をミスタに任せました。ミスタは早速椅子から立ち上がり行動を始めようとします。が、ここでミスタは異変に気付きました。彼が先ほどまで座っていた椅子の上に、球体に「凶」という字が掘られた「妙な形の石」があるのです…

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 ミスタはフーゴが「涙目のルカ」の死因の調査に向かうブチャラティを自動車で送るついでに、現場のマンションまで乗せてもらう事にしました。ですが、異変は続きます。乗る直前に先ほどの石が車のすぐ後ろにあることに気が付いたのです。さらに、走行中にその石はまるで瞬間移動をしているかの如く、消えたり現れたりしながら自動車を追ってきます。ミスタはこの異常をブチャラティフーゴに伝えますが、2人は気が付きませんでした。現場のマンションが目前に迫り、フーゴに「さっきワインどのくらい飲んだ?」と訊かれたミスタは「オレは酔ってなんかいねーぜ!!」と一蹴し、いくらか機嫌を悪くしたままマンションに向かって1人歩いて行きました。

 

 マンションに到達しミスタはエレベーターを待ちます。これから会う男の名は「スコリッピ」、彼はこのマンションの7階に住んでいるようです。程なくしてエレベータが到着し、ドアが開きました。が、そこには先ほどの石が。ミスタはとっさに拳銃を石に向かって発砲します。ふと気が付くとドアの陰に男がおり、ミスタの方を見ていました。さらに、弾丸が当たった石は削れて形が変わり、ブチャラティが口と胸から血を流しているような姿になっていたのです。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 ミスタはその男がスコリッピであることに気が付きました。そして、彼がスタンド使いであることも。ミスタは銃を発砲し、男の左手を撃ち抜きました。すぐさま尋問を始めます。最初に「スコリッピが情報通り彫刻家であること」「彼のスタンドが子供のころから自然と出るようになったこと」が分かりました。次にブチャラティを知っている理由を問うのですが、ここでは思いもしない回答がありました。スコリッピ自身はブチャラティを知らないのです。しかも、この石はスコリッピの心とは関係なく、自らブチャラティを尾行してきたとまで行って来ます。スコリッピは「ブチャラティはマンションに来ているはずだから合わせてほしい」と頼んできますが、1人で来たミスタは「ブチャラティはこのマンションには来てない」と突っぱね、花屋の主人の娘を殺した目的を聞きました。

 しかし、状況は一変します。先ほどまですぐそこにあった石が無いのです。ミスタはスコリッピに石を呼び戻すよう命令しますが、スコリッピは行ってしまった石は止められないことを伝えます。そして、次のようなことを伝えてくるのです。

あの『ブチャラティの形』も僕が掘ったわけではないし

君の銃弾が掘ったものでもない

あれは「運命の形」なんだよ…

像は胸に穴をあけられ血を流していましたね?

数日後か…あるいは数か月後かわからないが

ブチャラティは近いうちそうやって死ぬ…

われわれはみんな「運命の奴隷」なんだよ

それがぼくの能力-「ローリング・ストーンズ」の意味なんだ

スコリッピ

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 尋問を続けるミスタにローリング・ストーンズ」にブチャラティが触れれば苦しまずに死ねると伝えます。スコリッピのスタンドの能力、それは「近い将来死ぬ者の前に現れ、その運命を伝え、その者が触れることで安楽死させる」というものでした。ミスタの激しい尋問が続いているのにもかかわらず、スコリッピは落ち着いていました。それにしびれを切らしたミスタは6発装填できる彼のリボルバー拳銃に3発を残し、「運命ってのはコー使うんだ!」と言った上で引き金を引きます。ロシアンルーレットです。彼は合計3回引き金を引きましたが、まだ弾は発射されませんでした。次に引き金を引けば発射されます。しかし、スコリッピは落ち着いていました。ここで彼は娘の死の真相について語ります。その内容は次の通りでした。

 「花屋の主人は脚を悪くしていたが、それは内臓の疾患の初期症状であった。娘は石により自分も近い将来同じ疾患を患う事、そしてそれにより自分も死ぬことを知った。そこで、自分の健康な状態の臓器を父である花屋の主人に託すために、石を抱きしめて飛び降りた。石は彼女を苦しませず、かつ臓器を損傷しないように殺してくれたのだ。」

 これを聞いて激怒したミスタは4回目の引き金を引きました。ところが弾はあるはずなのに発射されません。火薬が湿っていたのです。スコリッピは「石が自分(スコリッピ)の死を掘っていないから、まだ死ねない」と語りました。そして、ミスタが「運命の形」を悟っており、もう撃つ意志が無いのではないかと問います。それは図星でした。ミスタは拳銃でスコリッピを殴り、気絶させました。もう、彼は訳が分かりません。気が付けばエレベーターはスコリッピが住む7階に到達していました。どうしようもなくなったので、ミスタは気絶したスコリッピを放置し、エレベーターを降りて現状報告もかねてフーゴに電話をしました。そして、ブチャラティに現状を伝えるように言いました。しかし、それに対するフーゴの返答は驚くものでした。

何言ってんだミスタ!?

まだ落ち合っていないのか?

ブチャラティならとっくにそのマンションに向かったぜ

君が車を降りてすぐ後を追ってな…

パンナコッタ・フーゴ

 ミスタは知りませんでした。最近スタンド使いがこの街に集まり始めていることを気にしてミスタを心配したブチャラティが、ルカの死因の調査をフーゴに任せてマンションに向かったことを。スコリッピの言っていたことは正しかったのです。

 ミスタはブチャラティの電話の番号を教えるように言いますが、フーゴは「今お前がかけているのがブチャラティの番号だ」と言います。ミスタは焦りました。銃を3発外に向かって発射し、セックス・ピストルズのうち3人を送り出しました。ブチャラティを探させるのです。発砲した後、彼は急いでエレベータに戻りました。エレベーターを操作し1階に向かいながら、スコリッピを起こします。ローリング・ストーンズを止める方法を聞くためです。このときの彼はブチャラティの死がすぐそこまで迫っていることを何となくですが理解していました。その表情は恐怖に染まり、その声は弱弱しいものになっていました。

 そんなミスタにスコリッピは「「石」には逆らわず……受け入れた方が…楽なのに………」と言います。と同時に「今まで出来た者がはいないが、「石」を破壊するか、「形」を変えることが出来ればあるいは…」と伝えるのです。ここで、ブチャラティを探していたピストルズ3人から連絡が入ります。ブチャラティは階段で7階に向かっているというのです。しかも、彼の目の前には「石」がいるとのこと。ミスタの乗ったエレベータはすでに4階を過ぎて1階に向かっています。一刻の猶予もありませんでした。ミスタは天井に向かって発砲し、残りの3人を送り出します。

 エレベータの天井を突き破り、7階に到達したピストルズブチャラティが触れる前に、銃弾を「石」に当てることに成功しました。石は階段を転げ落ち、同時に形が変わります。喜ぶピストルズ達でしたが、それも束の間、石に掘られたブチャラティの傷はさらに悪化していたのです。直後、石は階段を転がりながら登り、ブチャラティに迫ってきました。ブチャラティスティッキィ・フィンガーズで触れそうになりましたが、ピストルズが制止し、階段で7階まで到達したミスタが撃った銃弾により触れるのを阻止しました。ミスタは「ブチャラティが石に触れたら死んでしまう」ことを伝え、石を抱えて抑え込みます。ところが、石はズブズブと床に沈んでいき、あろうことかブチャラティの頭上の天井から出てきたのです。ブチャラティはとっさに壁にジッパーを付けて、それで作った穴を通って建物の外壁に逃れます。しかし、石はそれでも止まらず閉じようとしているジッパーを無理やりこじ開け、外に出てしまいました。外壁にぶら下がっているブチャラティに石が迫ります。ここで、ミスタは大胆な行動に打って出ました。石を抱きかかえて、そのままマンションの7階から飛び降りたのです。逃げようとする石をミスタは必死に、落ちながら抑え込みます。ブチャラティは叫びました。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 ミスタは石を抱きかかえたまま、ちょうど走ってきた車の上に落下しました。車がクッションとなり、ミスタは傷だらけになりながらも助かりました。そして、地面に叩きつけられた石は落ちてきた勢いで粉々に砕けたのです。ぺしゃんこになった車の上でミスタは「石が自分の死を掘っていないから、飛び降りても死なない」と納得していました。車から男が出てきます。ミスタが忘れたボイスレコーダーを届けに来たフーゴでした。彼も出血しましたが生還しました。

 ジッパーを使ってブチャラティは降りてきました。状況がいまいち飲み込めないブチャラティはミスタに「一体この石は何だったのだ?」「どういう偶然が重なればこーなるんだ?」と問いかけます。しかしながら、それはミスタにとっては酷な質問でした。彼も理解できていなかったのです。自分の頭では起こった事象を組み立てて説明することが難しいと思ったミスタは「「石」を破壊できたから全ては終わった」とだけ伝えました。そして、「涙目のルカ」の調査は自分がやると申し出たのです。この申し出をブチャラティは断りました。「ミスタの説明を聞くより、ルカの死因の調査の方が早そうだ」と判断した彼は、ミスタの話を聞く役目をフーゴに任せて調査に向かったのです。(なお、調査に向かった先でブチャラティはジョルノと「運命的な出会い」を果たすことになり、後に「石」が示した通りディアボロ胸に穴をあけられて絶命することとなります)

 ブチャラティ、ミスタ、フーゴがその場から立ち去っていきます。そんな彼らの背中を「「終わり」……?」「全ては「終わり」だって?」と呟きながら見ている男がいました。先ほどミスタに絞られたスコリッピでした。彼は塵となり風で散りゆくローリング・ストーンズの残骸を眺めながら、また呟くのです。

逆らわずに……「石」を受け入れれば「安楽」に終われたのに…

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 塵は3人の人間の顔の形を成していました。それは、ブチャラティアバッキオナランチャの顔のようでした。それを見たスコリッピは冷徹に呟きます。

我々はみな『運命』の奴隷なんだ

やはり形として出たものは……………

変えることはできない…

何者たちか知らないが

彼らはこれで『苦難への道』を歩み

そこで何人かは命を落とすことになる!

スコリッピ

 

 しかしながら、ブチャラティを助けるためにミスタが取った行動に何か思うことがあったようです。「「石」を破壊する」という行動でも運命は変えられないことを理解しつつも、別の可能性を感じた彼は立ち去っていくブチャラティ達の背中を見送りながら言います。

彼らがこれから歩む『苦難の道』には何か意味があるのかもしれない………

彼らの苦難が………どこかの誰かに

希望として伝わって行くような

何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない…

無事を祈ってはやれないが

彼らが『眠れる奴隷』であることを祈ろう………

目醒めることで…何か意味のあることを切り開いていく

『眠れる奴隷』であることを……

スコリッピ

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 これがジョジョ第5部のエピローグ「眠れる奴隷」の大筋です。この章の最初で述べたようにこの物語はとても辛く・悲しい話ですジョルノに会う前からブチャラティの死は確定していたのですから。しかも、ミスタが抗った結果ブチャラティはここで死ぬことは無くなりましたが、それは後にブチャラティだけでなくアバッキオナランチャも死ぬという結果に繋がります。石を破壊したことで運命を変えることが出来たのかもしれませんが、仮に変えることが出来ていたとしてもその結果は決して手放しに喜べるものではなかったのです

 しかしながら、先述したようにこの物語には大いなる希望もあるのです。希望の1つ目はブチャラティ自身が「運命を変えることが出来た」と思っていることです。彼は「解き放つことができた」と述べています。これは言い換えれば「奴隷ではなくなった」ということになります。彼は優秀かつ人望があったこともあり、遅かれ早かれ出世して幹部になることは確定していました。ジョルノに会わず、そのままトントンと出世して幹部になれば、この物語で描かれたような苦しい死に方をすることも無かったでしょう

 しかしながら、2章で述べたように彼は「父を殺した麻薬を憎む気持ち」と「そんな麻薬を子供にまで売りつけているのが自分の所属する組織であるという現実」の間にある矛盾に苦悩していました。彼は元来優しく正義感の強い人物です。そんな彼にとってそのまま組織の中で出世し幹部となることは「死ぬこと」に匹敵するほど苦しいことだったのです。ですが、ジョルノに会ったことで流れは変わりました。彼が歩む道は死に繋がる苦難の道でしたが、同時に組織に入った後の人生では最も生きていると感じられる道だったのです。これは彼の魂が天に昇るときに述べた次の台詞にも表れています。

ジョルノ……オレは…生き返ったんだ

故郷…ネアポリスでおまえと出会ったとき…

組織を裏切った時…にな…

ゆっくりと死んでいくだけだった…オレの心は

生き返ったんだ……

おまえのおかげでな………

幸福というのはこういうことだ……………

これでいい

気にするな……………

みんなによろしくと言っておいてくれ…

ブローノ・ブチャラティ

 ブチャラティにとっては「死」という抗えない運命に向かう道でも、その道が『信じられる道』であったならば、それは運命を変えた事と同義だったのです。

 希望の2つ目は苦しい運命を変えることが出来なくても、その運命に到達する道には意味があり価値があったと思えることです。スコリッピは彼らの事を「目醒める奴隷」と評しています。スコリッピの考えで言えばブチャラティ達は運命を変えることは出来ていないのです。実際にローリング・ストーンズの塵が顔を形作ったブチャラティアバッキオナランチャの3名は死亡しています。しかしながら、「では彼らの行為は無意味だったのか?」と問われれば、きっぱりと「NO!」と答えることできます。物語の中で彼らの行動がさまざまな困難を突破するためのカギとなっていました。アバッキオが最後まで諦めずに「再生」して残したディアボロの素顔はその最たる例でしょう。そして、彼らの行動の積み重ねによりボス・ディアボロが倒され、晴れてジョルノが組織のボスとなります。一筋縄にはいきませんが、彼により組織の浄化が執り行われ、麻薬の売買がなくなり、麻薬に手を出してしまう者の数は確実に減ることになるでしょう。ジョルノが述べたように「彼らの行動は滅んでいない」のです。彼らの行動には確かな意味が存在します。以上の2つの希望が、この「眠れる奴隷」の物語をただの悲しく辛い物語にしない重要な要素です。

 

 本ブログで取り上げた「ジョジョの奇妙な冒険」の物語は「第5部」です。第5部ということはその前に第1部~4部があるのですが、第1部~4部と第5部には実は大きな違いがあるのです。

 第1部~4部の主人公たちは何だかんだ言っても結構恵まれた家庭に生まれます。さらに、自分たちがジョースター家の血を引いていることを認識しており、その血統に誇りを持っているのです。第1部~4部ではそんな彼らに、各部のラスボスを元凶とする災厄が降りかかってきます。災厄が降りかかってきた事に関して彼らの意志はほとんど介在していません。降りかかってきた災厄は言うなれば「宿命」や「運命」と言えるのですが、彼らはジョースター家の血統の誇りを胸にラスボスたちを制していくのです。ジョジョ「運命に立ち向かう」物語なのですが、立ち向かうアプローチは「運命を変える」となります。

 一方、第5部の主人公ジョルノは実はジョースター家の血を引いているのですがそれを認識していませんし、当然誇りを持つ血統も彼の中にはありません。しかも、第2章で説明した通り彼はひどい家庭に生まれます。そんな彼は自らの考える正義のために自分の意志で組織のボス「ディアボロ」に立ち向かう事を決めました。そして、仲間たちと共にディアボロを制するのです。第5部もジョジョなので「運命に立ち向かう」物語なのですが、そのアプローチは第1部~4部とはどこか異なっています。

 このようになった背景には原作者の荒木先生が深く悩んだことを関係していました。荒木先生は第1部~4部という「自らの血統を誇りに降りかかってきた災厄という『運命や宿命』を変えた物語」を執筆されたわけですが、そのうえで次のようなことを考えたとのことです。

この第5部『黄金の風』を描く時にぼくは考えました。では「生まれて来た事自体が悲しい」場合、その人物はどうすればいいのだろうか?人は生まれる場所を選べません。幸せな家庭に生まれる人もいるし、最初からヒドイ境遇に生まれる人もいます。

で、もし「運命」とか「宿命」とかが、神様だとか、この大宇宙の星々が運行するように、法則だとかですでに決定されているものだとしたら、その人はいったいそうすればいいのだろうか?

ジョルノ、ブチャラティフーゴナランチャアバッキオ、ミスタ。彼らは始めっから、社会とか家庭からつまはじきにされて育ちました。育たざるを得ないという言い方が正しいと思います。ボスの娘、トリッシュもそうだと思います。

彼らは「運命」「宿命」に立ち向かい、それを変えていく事なんてできるのだろうか?

その事をずっと考えながらこの第5部を描きました。執筆した時期とか状況もあって、とても苦しく暗い気分になりました。どうしよう?「運命」とか「宿命」とかが、そんなに簡単に人間の努力とか根性とかで変えられたら、そんなの最初から「運命」なんて言わないと思うし、軽々しすぎる。そう思いました。

集英社文庫ジョジョの奇妙の冒険」39巻より

 アニメや漫画が発展した本国において「運命を変える」(「運命を切り開く」と言っても良い)という旨の言葉は多く使われているような気がしますが、改めて考えると「運命を変える」ということは現実の世界でも創作の世界でもその言葉を多用できるほどには発生していないように思えます。我々自身も生まれたり育ったりした環境によって与えられる状況に飲まれるか、器用に折れるしかないことは多々ありますし、創作の世界でもある種の補正がかかった主人公とそれに極めて近い人物を除けば、現状に飲まれたり、起こった出来事であっさりと死亡してしまったりします。ですので、上記の荒木先生の問いはジョジョに限らず、我々を含む多くの人物に関わることなのではないでしょうか。

 この問いに対して、荒木先生は執筆しながら1つの答えを得られたようです。それが、あとがきに書かれた次のことになります。

主人公たちは「運命」や「宿命」を変えようとはせず、彼らのおかれた状況の中で「正しい心」を捨てない事を選んだのです。正義の心の中にこそ「幸福」があると彼らは信じて。自然にそうなったのです。

集英社文庫ジョジョの奇妙の冒険」39巻より

 「運命」によって押し付けられたと言っても良い苦しい状況の中で、ジョルノ達は正義を貫きました。これには大いに勇気を与えられます。何せ運命を変えるという常人にはほぼ不可能と言っても良いことが出来なくても、格好良い生き方ができることを教えてくれたのですから。なお、原作者の荒木先生も主人公たちから勇気をもらう事や教えてもらうことがあったらしく、仲間に入れてもらえたような錯覚を覚えたと述べられています。 

 

 やっとこさですが、話をラブライブ!に移してまいりましょう。私はラブライブ!「運命も立ち向かう物語」だと思っています。そして、この事はμ'sとAqours双方の物語で通じていることだとも思います。ただ、そのアプローチには違いを感じています。「運命に立ち向かう」ことへのアプローチ方法については、今までの文章で2つ挙げています。1つは「運命を変えること」、もう1つは「運命の中にあっても正義の心を捨てないこと」です。両者は完全に独立したものではないのですが、それでも違った立ち向かい方と言えるでしょう。ラブライブ!の物語ですが、μ'sからAqoursに世代が変わって後者の側面が強くなったなと私は感じております。

 μ'sの物語において穂乃果たちは音之木坂女学院の廃校という「運命」に立ち向かう事となります。大都市かつ人口密集地である東京のど真ん中にありながら、彼女たちの学校は生徒数減少により廃校の危機にさらされるのです。穂乃果たちからすれば突然降りかかった災厄と言っても良かったでしょう。ただ、廃校を阻止するという事において、彼女たちの置かれた状況はかなり有利でした。生徒数が減少していると言っても通学圏内にとんでもない数の住人がいる大都市ですし、秋葉原という繁華街にパッと行ける環境ながら学校は適度に自然豊か、かつ進学率もよさそうな伝統校です。それ故にスクールアイドルとなることによるアピールが入学希望者数の増加にダイレクトに直結してきます。また、廃校という危機も「学校説明会の結果によっては廃校もあり得る」というレベルのものだったので、廃校阻止の希望は結構大きかったと言えるのです。それで、結果はご存知の通りアニメ1期のうちに存続が決まるという最良の結果を得ています。彼女たちは廃校という運命を変えることに成功したわけです。

 一方、Aqoursの物語においても千歌たちは浦の星女学院の廃校という「運命」に立ち向かう事になります。ですが、音之木坂の場合と違いそれは突然降りかかった災厄ではありません。浦の星がある内浦という町は美しい富士山を望む、海の綺麗な素晴らしい町なのですが、沼津の市街地まではバスで30分以上(運賃もそれなりに)かかるというアクセスにはかなり難がある立地です。しかも、内浦自体の人口が東京に比べれば圧倒的に少ないため、生徒を増やそうにも先ほどのバスを使用するしかない人を遠方から集める必要が出てきます。そのせいか統廃合の話は数年前からあり、ダイヤや鞠莉は物語が始まる時点でそれを認識しています。むしろ、1期13話における「廃校も仕方ないと思っていた」という旨の友人たちの台詞を聞く限りでは、通う生徒たちは多かれ少なかれその認識は持っていたのでしょうし、廃校という運命を受け入れる心を持っているのです。千歌たちはスクールアイドルをはじめ、1期10・11話で予備予選を突破、沼津駅前で写真撮影を求められる程に有名になりましたが、それでも入学希望者は0でした。浦の星が置かれる環境ではスクールアイドルとなることによるアピールが入学希望者数の増加にダイレクトに直結してこないのです

 2期では冒頭から「廃校が確定してしまった」という絶望的な状況を打破するためにあがく物語が展開されます。その中で1年生と3年生との間の壁を苦労して取り払ったことで作り上げた「MY舞☆TONIGHT」や、9人全員が高難易度のパフォーマンスに挑み見事に成功させた「MILACLE WAVE」と言った名曲が生まれ、ラブライブ!の予選も勝ち進んでいきます。そして、入学希望者も廃校阻止の条件だった100人まであと少しの98人まで増えたのです。しかしながら、運命は非情でした。2期7話において、あと少しの所でタイムアウトとなり、彼女たちの血が滲むほどの「あがき」にも関わらず廃校は覆しようのない事実となり、今度こそ確定してしまったのです。

 改めて考えると、アニメ化以前より電撃G'sマガジンにおいては「「浦の星女学院」は廃校が確定している」という設定でした。そして、アニメ2期に入って、ルビィが衣装作りが好きでかつ得意である鞠莉がロックが好きであるといったG'sマガジンに載っていた設定が生かされるようになり、その上でアニメの中での廃校確定です。これは私の考えに過ぎませんが、もしかしたらアニメの中の彼女たちにとって、G'sマガジンと言うのは妙な形の石「ローリング・ストーンズ」だったのかもしれません

 また、2章で取り上げたブチャラティの過去を語る回の中で、彼がゴロつき達を殺めてしまうシーンの直前では、次のようなナレーションがありました。

『運命とは 自分で切り開くものである』と ある人は言う…

しかしながら!自分の意志で正しい道を選択する余地などない『ぬきさしならない状況』というのも

人生の過程では存在するッ!

ナレーション

 明確な記述は無いのですが、この「ある人」というのは第3部の主人公「空条承太郎」だと考えられます。彼は物語の中で「『道』というものは自分で切り開くものだ」と敵に言っているのです(ちなみにその時の敵のスタンド名は「運命の車輪(ウィール・オブ・フォーチュン)」!)。かつての主人公が言っていた台詞を一部とはいえ否定する非常に重い言葉なのですが、これはある意味ラブライブ!にも通じると言えると思います。と言いますのも、2期7話を見たとき、上記の言葉になぞらえた次の言葉が浮かんできたからです。

 

「『壁はこわせるものさ』と ある少女たちは言う… しかしながら!自分の意志で壁を打破する余地などない『ぬきさしならない状況』というのも 人生の過程では存在するッ!」

 

 浦女の廃校と言うのはAqoursの面々にとっては「ぬきさしならない状況」、もしくは「打ち壊しようなどない厚すぎる壁」だったのではないかと思います。何せ、物語の中で「学校を救いたい」という想いを抱いてあがきまくっても「廃校阻止」は叶わなかったのですから。彼女たちに限らず、物語の中の内浦の方々はきっと、われわれの世界の内浦の方々と同様に廃校のそもそもの原因となった人口減少を阻止すべく昔から尽力されたのだと思います。でも、阻止は出来なかったのです。こう考えると浦女の廃校は、抗いようのない「運命」や「宿命」だったのかもしれません。

 上記の事に限らず、サンシャイン!!の物語の中では自分の意志で正しい道を選択する余地などない『ぬきさしならない状況』というのが、多くあったように感じます。1期9話で示された3年生達が互いを想って行ったことが、全てすれ違ってしまい離れてしまった過去もそうですし、1期13話の地区予選において、「勝つこと」と「浦女や内浦を知ってもらうこと」の二律相反を何とかせねばならなかったこともそうでしょう。2期8話で起こった優勝候補Saint Snowがミスを起こし、それを回復する間もないまま、最高のパフォーマンスを出せない状態であっけなく敗北してしまったこともそうだと思います。μ'sの物語と比較して、Aqoursの物語は全体的にどうすることも出来ない状況の描写が多かったように思えます。

 

 繰り返しになりますが物語の中で、最大の「ぬきさしならない状況」と言える「覆しようのない廃校の確定」が起こってしまいます。そんな中でAqoursの面々はどうしたか。学校の仲間たちの言葉を追い風にして、彼女たちはラブライブ!で優勝して輝くことで、学校の名前を残す」ことで「学校を救う」道を歩み始めました。そうです。彼女たちは「『廃校』という絶望的な運命の中でも、『学校を救いたい』という彼女たちにとっての『正義の心』を捨てないこと」を選んだのです。そこに「輝き」という彼女たちにとっての「幸福」があると信じて。

 先述したように私はμ'sとAqoursそれぞれの「運命に立ち向かう」ことへのアプローチは違いがあると考えています。μ'sは「廃校阻止」という「運命を変えること」で立ち向かいました。一方Aqoursは「廃校が確定しても「学校を救いたい」という想いのために浦の星の名を残す」という「運命の中にあっても正義の心を捨てないこと」で立ち向かったのです。

 この「運命に立ち向かうこと」へのアプローチの違いは、「雨」に遭遇した時の対応の仕方に大きく表れていると思います。μ'sにおいて有名な雨のシーンと言えば2期1話の神田明神でのシーンが挙げられます。降りしきる雨の中でμ'sの面々は語り合うのですが、穂乃果は「もう一度ラブライブ!に出たい」という気持ちを伝えた後で、雨の中に飛び出します。そして、叫ぶのです。

雨止めーーーーーーーーっ!!

高坂穂乃果

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ラブライブ!2期1話より (C)2013 プロジェクトラブライブ!

 この声に呼応するように、雨は一気にやみ、陽光が降り注ぎました。本来、天候と言うものは人間の意志で変えられるものではありませんが、彼女はそれを変えました。「運命」によって与えられたと言ってもいい「雨」という天候を変えたのです。

 一方、Aqoursですと2期10話の展望台でのシーンが印象的です。流れ星を見るために展望台まで登って来たのですが、空は厚い雲に覆われ、雨はずっと降り続けています。とても流れ星を拝めそうな状態ではないのですが、決して諦めたわけではありません。かと言って、「雨止めーーーーっ!」と叫び天候を変えるわけでもないのです。千歌は星座早見盤を天に掲げ、語ります。

この雨だって、全部流れ落ちたら、必ず…星が見えるよ!だから晴れるまで、もっと…もっと遊ぼう!

高海千歌

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ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期10話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 早見盤を掲げる手に、仲間たちの手が重なっていきます。そして、笑いあいながら彼女たちは星が見えるその時を待ちました。「雨」という「運命」の中で「星は必ず見れる」という希望を捨てなかったのです。この希望が天に届いたのでしょうか、厚い雲は払われ、満天の星空が目の前に現れます。かつて梨子は次のように述べていました。

色んな人が、色んな想いを抱いて…その想いが、見えない力になって、引き寄せられて、運命のように出会う。全てに意味がある。

桜内梨子

 この言葉の通り、みんなが抱いていたであろう「星を見たい」という想いが見えない力となって雲を晴らせたのか、もしくは、想いとは関係なく雲が晴れることが法則だとかで、すでに決定されていたのか、それは分かりません。ですが、「希望を捨てなかったからこそ星を見ることが出来た」ことは確かであると言えるでしょう。

  Aqoursの物語では「虹」が登場します。これも、「運命の中にあっても正義の心を捨てない」という彼女たちの姿勢を示す要素だと考えられます。この「虹」ですが、発生するためには次のような条件が必要だそうです。

1.空気中に大きな水蒸気がある

2.綺麗に晴れている

3.太陽が低い位置にある

 1.の条件が満たされるためには水蒸気が大量にある=湿度が高いことが必須です。なので、雨が大量に降る必要があります。そのため「雨やめーーーっ!」と叫んで雨を止めてしまうと、最初の条件が満たせないのです。次の2.の条件を満たすには雨が降り切るまで待つ必要があります。ですので、「虹」を拝むためには「雨」という「運命」のなかでも「晴れる」という気持ちを捨てない必要があるのです。

 そして、私がもっと重要だと思っているのは「3.太陽が低い位置にある」です。この条件を満たす時刻は日の出もしくは日の入り付近となります。しかしながら、虹が出てきたシーンの中で2期3話の学校に向かって走るところや、2期13話の「WONDERFUL STORIES」の最後の部分で描かれている空はまるで昼間のようです。これでは太陽の位置が高すぎて虹が発生しません。では、なぜ虹が発生したのか?私の考えはこうです。

 

このシーンにおける虹の光源は天高くに存在する太陽ではなく、地上にいるAqours自身である。

 

 彼女たちは「輝き」に向かって全力で駆け抜けていました。この時の彼女たちは気付いていないのですが、駆け抜けていくその姿は、それそのものが最高に輝いています。だからこそ、彼女たちは虹を生み出せる程の光源たり得たのです。

 

 ラブライブ!の物語において「運命の中にあっても正義の心を捨てない」描写は多くあります。これは運命を変えたμ'sにも言えることです。例えば、大銀河宇宙No.1アイドルこと「矢澤にこ。彼女は1年生の時からスクールアイドルでしたが、理想をかなり高く持っていたこともあり、他の部員全員が退部してしまうという事態に遭遇します。しかも、これは彼女が進んでなった「孤独」ではなく、意志を貫いたがゆえに意思とは関係なく陥ってしまった「孤立」です。このとき、スクールアイドルになることを諦めていれば、きっともの凄く楽だったでしょう。彼女は人を出し抜こうとしたり、ちょっとずるいという面を持ちますが、実際は大変面倒見が良く、人を鼓舞するのが上手い優しい人物です。スクールアイドルでなくなっても、友達とそれなりに仲良く楽しくやっていくことは可能だったでしょう。

 でも、彼女は孤立したままになってもスクールアイドルを止めませんでした。彼女はこのような状況に置かれても「アイドルでありたい」という自身の抱く正義を捨てなかったのです。この正義を抱きながら、たった1人で約2年もの間「アイドル研究会を守る」という苦難の道を歩んできたのです。μ'sの物語は穂乃果スクールアイドルになることを発起し、最終的に「運命を変える」という結末を迎えます。しかしながら、実は穂乃果が発起するずっと前から、運命に立ち向かう戦いは始まっていたのです。

 

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ラブライブ!2期4話より (C)2013 プロジェクトラブライブ!

 μ'sにせよ、Aqoursにせよ殆どメンバーがスクールアイドルに対する憧れは持っているものの、同時にスクールアイドルになることを躊躇してしまうような要素を持っています。それは性格、コンプレックス、過去の苦しい記憶、立場、家庭の事情と言うように様々な種類があるのですが、いずれにしてもそれらは望んで持ったものではなく、気が付けば持っていたものでしょう。言い換えればそのような「要素」こそ彼女たちが「置かれた状況」なのです。しかしながら、彼女たちは輝くために勇気を出してスクールアイドルとなり、その状況に立ち向かいます。そう、「運命の中にあっても正義の心を捨てないこと」を選んでいるのです。スクールアイドルとなったからと言って、「要素」や「状況」がすぐさま改善されるわけではないのですが、それでも輝きに向かって進み続けるその姿は大いに希望と勇気を私たちに与えてくれます。ラブライブ!における欠かすことのできない魅力であると言えるでしょう

 

  運命に立ち向かった結果として、μ'sは学校を存続させ、さらに第2回ラブライブ!で優勝を果たすという最高の結果を得ました。上記に限らず、μ'sは要所要所でキッチリと勝利という結果を残しているユニットだと言えるでしょう。さらに言えば、劇場版での大活躍によりラブライブ!の決勝が毎年「アキバドーム」で実施されるようになる事に大きく貢献します。μ'sはラブライブ!の運命をも変えたのです

 一方、Aqoursも運命に立ち向かいラブライブ!優勝は果たしましたが、学校は廃校を救うことは叶いませんでした。彼女たちが暮らす内浦の状況も相まって、μ'sと比較するとAqoursは敗北という辛酸を多く舐めることとなった、いや「舐めざるを得なかった」ユニットだと言えると思います。

  しかしながら、この事がAqoursの物語がμ'sの物語より劣っているのか、輝きは弱いのかと問われれば、「そんなことは決してない!」と言えます。2期13話の最後に披露された「WONDERFUL STORIES」の曲中で千歌は次のように述べています。

分かった。私が探していた「輝き」…私達の輝き…、あがいてあがいてあがきまくって!やっと分かった!

最初からあったんだ!は

始めて見たあのときから、何もかも…一歩一歩…私たちの過ごしてきた時間のすべてが…それが輝きだったんだ!

探していた私たちの…「輝き」だったんだ!

高海千歌

また、2番の歌詞には「最高の笑顔だよ」という部分があります。彼女たちは自らの歩んできた軌跡を最高に楽しみ、誇りを持っているのです。

 また、浦の星女学院は廃校になってしまいましたが、その結末になるまでの道は確実に変わりました。先述したように、浦女の廃校は以前から現実的な実施事項として検討されており、生徒たちもそれを受け入れる気持ちを持っていました。もし、そのままだったら浦女は「ゆっくりと死んでいくだけだった」でしょう。しかしながら、Aqoursの面々が学校存続のために奔走したことで、多くの者が気付いていなかった浦女の魅力は白日の下にさらされました。そして、他の生徒たちも浦女を救いたいと思い、尽力するようになるのです。結果としては廃校阻止は叶いませんでしたが、ラブライブ!の歴史に浦女の名前は残りましたし、生徒だけでなく卒業生を含む近隣の住民たちの愛に包まれながら、その歴史に幕を閉じました。千歌達が浦女を廃校から救うための行動を起こしたとき、「ラブライブ!の歴史に浦女の名前を残そう!」と思ったときに浦女は確かに「生き返った」のです。もしかしたら、これだけでも浦女にとっては幸福だったのかもしれませんし、「浦女の運命を解き放つことが出来た」と言えるのかもしれません。

 千歌が「輝きたい!」と思ったことから始まった物語は強い雨風に晒される苦難の道だったのかもしれません。その中では「浦女の廃校」に代表される辛く悲しい結末もありました。ですが、進み続ける彼女たちは最高に輝いていました。その姿は本当に美しく、格好よく、敬意を抱くことが出来ます。そして、その軌跡は苦難の道ではありましたが、周りの生徒たちや街の人々、そして私たちを含むAqoursを応援する者たちに確かに「希望」として伝わっていると思います。

 置かれた状況や運命の中で、「輝きたい!」という正義の心を捨てずにあがいた結果として、彼女たち自身が「最高の輝きだった」と感じることが出来る軌跡を歩んでくることが出来たこと。それこそが、この物語の大いなる価値であり、Aqoursの確固たる勝利なのです。

 

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ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期13話より ©2017 プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

 

 スコリッピは人間を「運命の奴隷」だと言っており、Aqoursの面々がそれに入るのかは人によって考えが様々だと思います。しかしながら、彼女たちが「運命の奴隷」だったとしても次の事は確実に言えるでしょう。彼女たちは「目醒めることで何か意味のあることを切り開いた『眠れる奴隷』であった」と。

 

6.輝く太陽と黄金の風

 

 アニメのAqoursの物語では紙飛行機が需要な要素として出てきました。

 紙飛行機を飛ばすためには紙を折り、自ら飛ばそうという意志を持って投げる必要があります。さらに、遠くに飛ばそうと思ったら折り方や投げ方を工夫するといった手間が必要になります。そうなると、飛ばせないと諦めたくなる気持ちや、面倒くささに打ち勝つ気持ちを要するでしょう。紙飛行機を飛ばすためには多かれ少なかれ「覚悟」が必要なのです。

 紙飛行機は基本的にすぐ落ちてしまいます。目的地が目の前なら楽ですが、遠くに設定すればとても大変です。きっと何度も何度も投げる必要があるでしょう。これもまた大変ですが、目的地に到達させたいのであれば、「今は届かなくてもいつかは届く!」と信じ、目的地という「真実に向かおうとする意志」をもって投げ続けなくてはいけません。

 先述の通り紙飛行機は折り方や投げ方によって飛距離をある程度は伸ばすことが出来ますが、風が吹けば工夫と関係なく落ちてしまいますし、雨に降られたり、着水したりしようものなら下手すると飛行機自体がお釈迦になってしまいます。こう考えると紙飛行機はかなり「運命」に左右されるものと言えるでしょう。それでも、目的地まで飛ばしたいと思ったのなら、「置かれた状況の中でも『目的地まで絶対に飛ばす!』という正義の心」を捨てない必要があります。

 2期13話の終盤で登場した紙飛行機は千歌の「飛べっ!」という声に従い、高く飛び浦女まで飛んでいきます。その間、一度も落ちることはありませんでした。これはきっと千歌を含む登場人物たちが紙飛行機を飛ばすに足りうる「光る風」になれたからではないでしょうか。「輝きを見つける」という覚悟を持ち、「輝き」という真実に向かおうとする意志を抱き、苦しい状況の中でも「輝く!」「学校を救う!」という正義の心を捨てなかった。そんな彼女たちが追い風になったからこそ、紙飛行機はみんなの心が常に向いていたであろう「浦の星女学院」とう目的地に到達することが出来た。私は強くそう思うのです。

 

 ジョジョ第5部において、ブチャラティの意志を継ぎ、パッショーネのトップとなるジョルノは託された矢を握りながら次のように述べます。

去ってしまった者たちから受け継いだものは

さらに『先』に進めなくてはならない!!

ジョルノ・ジョバァーナ

 この言葉を彼はきっと体現するでしょう。そして、μ'sの意志を継いだAqoursも現在進行形で体現していると思います。これはリアルでもアニメでも漫画でも同じだと言って良いでしょう。このようなことを可能している要素の一部は本ブログで取り上げた「覚悟」「真実に向かおうとする意志」「運命の中にあっても正義の心捨てないこと」なのではないか。私はこのように考えております。

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集英社文庫ジョジョの奇妙な冒険」39巻より (C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS

 

 「君のこころは輝いてるかい?」のリリイベよりAqoursのことを応援していますが、そのころから彼女たちを「輝く太陽」のような存在だなとぼんやりではありますが、思っていました。勿論、これは5thライブでドはまりし、それまでの半生からは想像できないほど全力で応援することとなった大先輩μ'sにも通じることです。そして、このブログを書きたいと思ったときから別の意味も見出すことが出来るようになりました。その意味はブログを書くうちにさらに大きくなり「輝く太陽」に匹敵するほどの重要なものとなっております

 この「別の意味」を示す言葉ですが、これはジョルノたちにも当てはまるものです。そして、この言葉は荒木先生があとがきでジョルノたちに送ったメッセージにも書かれています。このメッセージはAqoursやμ'sにもそのまま送ることが出来るものだと思っているので、それを引用させていただき、このブログの締めとさせて頂きたく思います。

 

本当にありがとう。君たちは、苦しく辛いときに吹いてくれる『黄金の風』なのだ

集英社文庫ジョジョの奇妙の冒険」39巻より 荒木飛呂彦

 

 

 

 

 

 

追伸:確定情報ではないのですが、2018年から19年のどこかでジョジョの奇妙な冒険第5部「黄金の風」がアニメ化されるという話を小耳にはさんでおります。大変楽しみです。

 なお、このブログを読んでいただいた方の中には「さんざんネタバレしてんじゃねぇーかッ!」と思われる方もいるでしょう。でも、ご安心ください。こんなネタバレ如きでつまらなくなる程やわな作品ではありません。ですから、お楽しみに…。

 

 

 

Pile Live at Budokan ~Pile feat.ラブライブ!~ のちょこっと感想

 拝啓、あに丸です。

 突然ですが、去る2017年12月2日(土)に開催されましたPile Live at Budokan ~Pile feat.ラブライブ!~」に行って参りました。「改めて考えるとμ'sのキャストさんの、ソロのライブってきちんと言ったこと無いなあ(南條さんがボーカルを務めるfrip Sideをソロとみるか否かにもよりますが)、真姫ちゃん推しだし、いい機会だからぱいちゃんのソロ公演に行ってみようかな。」等というライトな気持ちでアニュータ先行にてチケットを購入してみたのですが、とても良かったので感想をブログにすることといたしました。なお、一曲一曲の感想を書けるほど聴き分けることが出来てはいませんし、音楽の知識の薄い人間がダラダラと長文を書いてもなあ。と思うので、本ブログでは感じたことを簡単に述べるに留めたいと思います。

 

 まず、「歌手としてのPileさんの魅力を感じることが出来た」ことが良かったと思っています。私が強く感じたPileさんの魅力の1つは「格好いい」です。今回の公演では始まるときに楽屋からステージまでバンドメンバーを引き連れて歩いてくる様子を生中継するという演出があったのですが、その歩く姿が格好いい!私の主観ではありますが、堂々とした立ち居振る舞いで、一歩一歩しっかりとした足取りで進んでくる様子が素敵でした。「これから武道館に出陣するぞ!」という意志を感じます。私の好きな映画で例えると「「パシフィック・リム」冒頭のベケット兄弟が出陣するために自室から基地まで歩いていくシーン」のような格好良さだったと思います。来ている衣装もPileさんのテーマカラーであるピンクを基調としたものでしたが、ジャケットとの組み合わせにより格好良くされていたのが好印象でした。(途中で黒のパンツを用いたタイトな(で合ってるかな?)衣装に変わりましたが、それもまた格好良い!)

 

 そして、チェックメイト「ドリームトリガー」と曲は続いていきます。これらの冒頭の曲たちがまた格好いい!μ'sのキャストさんは「声優をメインでやっていた方が「ラブライブ!」で歌やダンスに挑んだ」というアプローチの方が多いと思うのですが、Pileさんの場合は「歌をメインでやっていた方が「ラブライブ!」で声優に挑んだ」というアプローチになると思います。それ故か、例えば三森さんや内田さんは「可愛らしさ」を表現することが主となっているという印象を受けるのですが、本公演でPileさんは「格好良さ」を表現することが主となっているなという印象を受けました。無論どちらが良い悪いということではないのですが、こういった違いがあるのが実に面白いなと考えております。

 

 Pileさんが歌手を本業とされている方だからでしょうか。「その楽曲がコールを入れて盛り上がっても楽しいけど、聴き入るのも実に良い」と感じられるのも魅力だと思っています。武道館に赴いた日なのですが、実を申し上げますと私は喉の調子を悪くしておりました。それ故、全くと言っていいほどコールを入れることが出来なかったのです。なので、当日は聴くことに専念していたのですが、これが思いのほか良いのです。私の音楽の好みに合っていたということはあると思いますが、コールを入れなくても聴くだけで全然楽しめる。正直、アコースティックスタイルでも全然良いなと感じることが出来巻いた。私はラブライブ!にドハマりする前は志方あきこさんやKOKIAさんと言った「歌手!」という感じの方の、聴くことに専念するコンサートばかり行っていた人間なので、Pileさんの曲がただ聴き入っても素晴らしいことはとても嬉しく思いました。声優アーティストさんとの聴かせ方の違いはPileさんの大きな魅力だと言って良いと私は考えます。

 

 本公演は「Pile feat.ラブライブ!」と銘打っているのですが、この公園を通じて「μ'sとその楽曲はまだまだ全然生きているッ!」と感じられたのは良かったと思います。本公演ではラブライブ!の楽曲が始まる前に過去のμ'sの公演の映像が流されました。いやはや、やはり涙腺がゆるみますね。FINALから1年以上経ちましたが、彼女たちの輝かしい奇跡は一切色褪せません。そして、ここで新田恵海さん、通称「つんつん(えみつんの方が一般的ですが、Pileさんはつんつんと呼んでおられます)」が登場し、ブチ上がり曲「No brand girls」が披露されます。ファンの皆様もコールをされます。端的に言って完璧です。そして、やっぱり楽しそう。やはりμ'sの楽曲は全然色褪せていないのですよ。先述の通り、私は喉がアカンことになっていたので、コールは出来ませんでした。この時ばかりは自身の体調管理を恨みましたね。

 この公演では2ndシングルにして神曲Snow harationも披露されたのですが、やはり皆様のペンライトやサイリウムが一瞬にしてからオレンジに変わるところは完璧でした。改めて考えると、LV以外でこの演出に参加するのは初だったので、自分がその一部になって非常に感慨深かったです。

 本公演ではそれは僕たちの奇跡Pileさんソロを聴けたのですが、私はこれをいたく気に入りました。と、言うのも主観ではありますが、「真姫ちゃん」のソロからPileさん」のソロに変化し、進化していたからです。本ブログにて「「μ'sとその楽曲はまだまだ全然生きているッ!」と感じられた」と先述しましたが、では何をもって「生きている」とみなすかと考えた場合、その1つは「変化すること」だと私は考えております。例えば、今でも演奏されるクラシックや雅楽は色んなアレンジが加えられ多彩になっております。また、オタクコンテンツの業界では戦艦や刀剣が擬人化という変化を与えられることで、数年前より活き活きとしてきました。音楽も含めてですが、いろんな人にずっと愛されているものは、色んな人が触れるが故に形が良くも悪くも変わっていくものだと思うのです。逆に、どんなに完成度が高くとも、変化がなくなればそれは一種の「死」なのではないでしょうか。こう考えたとき、「それは僕たちの奇跡」がPileさんのソロとなったことはとても大きな意味があると思います。何故なら、曲が本来持っていた魅力はそのままに、μ'sというスクールアイドルの曲だったものが、Pileさんという歌手の曲に変化したということは、この曲は「生きている」ことを示しているからです。賛否はあるかもしれませんが、私はこの事で「μ'sは決してオワコンではない」という確信をさらに深めることが出来ました。本ライブで披露された楽曲はいずれもPileさんのソロ、もしくはPileさん+つんつんバージョンという形でした。これはFINAL前はほとんど見られなかったものなので、いずれも「変化した」と言えます。それでも曲の魅力は全然失われていませんし、ファンの皆様の熱いコールはそのままです。μ'sとして表舞台に立つことが無くなっても、魅力を失うことなく変化し続けるという事は「μ'sとその曲が今も確実に生きている」という証なのではないでしょうか。

 

 本公演ではPileさんの楽曲で「境界のRINNE」のOPである「Melody」がなんと、つんつんとのデュエットバージョンで披露されました。この曲はPileさんの楽曲の中でも聴く頻度の多い曲なのですが、それが新田さんとのコラボで聴けたことに大いに感動しました。Pileさんも勿論ですが、新田さんの歌のパワーも凄いもので、CDでは絶対に聴けないスペシャルバージョンを聴けたことで、満足感はさらに上昇しました。

 

 ここまでの文章でPile Live at Budokan ~Pile feat.ラブライブ!~の私が感じた良いポイントを簡単に書いてみました。無論、良かった!と思えるポイントは多々あるのですが、感動や衝撃を現状では上手くまとめられないので、今回はこれでお開きとさせて頂きたく思います。

 最後に一言二言。Pileさんの魅力を感じ、追い風さんになるのも良いかもと思えた、そして、μ'sが好きでよかったッ!と思える素晴らしいライブでした!Pileさん、ありがとうございます!以上、ご精読ありがとうございました。

Aqours 2nd LOVE LIVE! ~HAPPY PARTY TRAIN TOUR 埼玉公演~乗車の感想

 こんにちは。あに丸と申します。

 この度はAqours 2nd LOVE LIVE! HAPPY PARTY TRAIN TOUR の埼玉公演に参戦して参りましたので、そこで感じた事、思った事を出来るだけ早く書きたいと思い、ブログにしてみました。

 なお、今回のライブも徹頭徹尾「最高!」だったのですが、本ブログではその中でも強く印象に残ったものについて書かせていただきます。

 

 まずは、OPアニメ~Aqours登場~表題曲HAPPY PARTY TRAINの流れですね。私は鉄道が好きなので、Aqoursのみんなが列車に乗っているというだけでも気分が高揚します。しかも、キャストさんたちが蒸気機関車の先頭に乗って登場する。名古屋・神戸公演のLVで拝んでも感動ものでしたが、生で拝むとなおさらに感動ものでした。格好良すぎます。

 そして、HAPPY PARTY TRAINのスタートです。Aqoursの新しい旅立ちを表現した曲ですね。大いなる希望といくつかの切なさを併せ持った歌詞が魅力です。そして、機関車のロッドの動きをイメージした振り付けや9人でレールを繋ぐ振り付けといった鉄道を感じさせる振り付けが多いのも魅力です。そんな魅力的な歌詞をAqoursの皆様が全力で歌い、魅力的な振り付けを全力で踊る。心の琴線に触れないわけがありません。楽しくて笑顔になると同時に、感動で泣きました。やっぱり「ラブライブ!」って良いですね。

 

 埼玉公演ではデュオトリオコレクションの楽曲が初めて披露されました。

 1曲目は梨子(りきゃこ)花丸(きんちゃん)鞠莉(あいにゃ)トリオの曲夏への扉 Never end ver.」です。ライブ自体は秋口ですが、気分を一気に夏の始まりに戻してくれる大変明るい曲でした。風船が飛んできたり、水鉄砲で水をかけられたりといった演出も相まって、シンプルに楽しさ満載だったと思います。まさに「ココロウキウキ」です。衣装のイメージは「ハリケーンブロッサム」。ブロッサムの名のごとく、花の様な綺麗な衣装でした。りきゃこがきんちゃんの衣装を「玉子」と表現した辺りから多少雲行きが怪しくなりましたが、あの衣装は誰か何と言おうと咲き誇る花のイメージに違わないものだと思います(キリッ)。

 2曲目はダイヤ(ありしゃ)ルビィ(ふりりん)コンビの「真夏は誰のモノ?」です。熱情的な恋の歌という感じで合っていますでしょうか。お二方のダンスも相まって体が温まってくる感覚がありました。あと、綺麗な女性と可愛らしい女性が互いの顔を近づけるというのは、遠目で見ていてもドキドキするものです。頭がマヒしそうになりました。衣装のイメージはインフェルノフェニックス」赤い太陽のドレスであります。「業火の不死鳥」というイメージは決して言いすぎではありません。翼を携えた赤い衣は不死鳥と呼んで差支えないでしょう。素敵です。

 3曲目は曜(しゅかしゅー)善……ヨハネ(あいきゃん)コンビの地元愛♡満タン☆サマーライフ」です。「じもあい!」の掛け声が楽しい曲ですね。そして、楽しいだけでなく感動出来ました。私はDAY1、DAY2共にスタンドの後方にいました。現地にいれるだけでも有難い限りなのですが、そうは言ってもキャストさんの近くに入れるアリーナ席は羨ましく感じるものです。通常、トロッコが来たとしてもスタンド後方だとキャストさんは豆粒くらいになってしまいますからね。が、この曲は違いました。何とお二方がスタンドAとBの間の通路を通ってこちらに接近してくるのです!豆粒になってしまう位遠くにいるはずの堕天使が、表情が分かるくらい近くまで来てくれるのです!そして、近くで「じもあい!じもあい!」の振り付けをやっていただけるのです!幸せでした。それ以外の言葉が出ません。SNS上で酷い言われ方をしてしまう事もあるスタンド席は、間違いなく一番はこの場所って言える席になりました。衣装のイメージはユニコーンリザード。水色と白を基調とした、角あり、翼あり、尻尾ありのこれまた可愛い衣装でした。また、拝みたいものです。

 4曲目は千歌(杏ちゃん)果南(すわわ)コンビの「夏の終わりの雨音が」です。夏という季節の終わりと一緒に終わってしまった出会いを歌う切なさげな曲です。多くの方がブログやSNSで言及していますが、杏ちゃんがメインステージの高いところ、すわわがセンターステージと離れたところで舞い踊るのが印象的でした。そして、曲の最後ではG'sマガジンのイメージイラストのように背中を合わせて一言。「楽しかったね、夏…。」我々の気持ちを見事に代弁して頂けました。ありがとうございます。衣装のイメージは「トワイライトタイガー」。タイガーのごとく、頭上にはしっかりとケモミミがありました。そして、4曲全てが披露された後のMCではその衣装で「肉球のポーズ」なるものをやっていただけました。危うく胸を押さえて、救急搬送されるところでしたね。ケモミミと猫の手の組み合わせはド直球すぎるのです。

 デュオトリオコレクションの4曲は、それぞれに違った持ち味があり、かつキャラの組み合わせと曲のイメージの良い意味でのギャップもありましたので、もの凄く楽しめました。

 

 本ツアーにおいて「スリリング・ワンウェイ」は外すことのできないブチ上がり曲ではなかったでしょうか。杏ちゃんから発せられる渾身の力を込めた「私達!輝きたぁぁぁーーーーーいッ!」でボルテージは急上昇します。そして、ハードなダンス、とにかく力強い歌詞、そして我々観客のコールと合いの手。それらが一体となって会場は熱い空気に包まれます。会場全体で熱くなれるという事は、ライブの大きな魅力の1つでしょう。この曲はその魅力を最大限に発揮してくれます。本ツアーに限らず、今後の公演でも是非、取り入れて頂きたいものです。

 

 ライブ後半ではAqoursの定番曲となった青空Jumping Heartがデビュー曲君のこころは輝いてるかい?の衣装で披露されました。どちらの曲も数多く披露されているため、彼女たちの進化を強く感じられる曲となっています。私の場合、具体的にどこの部分がどう進化したのかを上手く言語化出来るわけではないのですが、奇妙な事に進化していると感じることが出来るのです。もしくは、頭ではなく心で理解できると言うべきでしょうか。ラブライブ!はキャストさんの成長を感じられることも魅力ですが、この2曲はその魅力を特に強く感じられる曲でしょう。無論、しっかりと楽しみながら魅せられることが出来ました。今後のライブでの更なる進化も期待です。

 埼玉公演では青ジャン君こことの間に「SKY JOURNEY」MIRAI TICKETが入りました。「SKY JOURNEY」は私がその歌詞に強く共感できた曲で、最近特にお気に入りになっている曲の1つです。今まではCD音源やLVで聴いてきたわけですが、2万人を超える観衆それぞれが光を放ち、さながら星の大海のようになっているメットライフドームで聴くのは、Aqoursのメンバーが乗る列車が星空の中を駆けていくイメージと重なって大変に良かったです。MIRAI TICKETはアニメ1期13話飾る曲で、アニメ1期から2期へと導く、「未来行きの乗車券」と言う立ち位置の曲だと思います。1stライブのときにも披露されましたが、MIRAI TICKET」の「光になろう」という歌詞から始まり、千歌の「一緒に輝こう!」という呼びかけで周囲の皆が一緒に輝き始めて、そのまま「君のこころに輝いてるかい?」に繋がる流れは、1つの歌劇を観ているようで見事だなと思います。また、アニメとリアルライブのシンクロを特に強く感じられる部分でありますので、ラブライブ!の素晴らしさを感じずにはいられません。当然のように、楽しみつつもボロ泣きでした。

 

 ラブライブ!では恒例のアンコール。本ツアーではそのトップバッターは「サンシャインぴっかぴか音頭」です。毎度毎度、内浦から出張している「うちっちー」を交えてサンシャイン!!を愛してくれている沼津の方々が考えた振り付けで踊ります。盆踊りというものには殆ど縁が無かった私ですが、30歳になってから、ラブライブ!サンシャイン!!を通じて触れることになろうとは。人生とはかくも不思議なものであります。杏ちゃんのバチ捌きを拝みながら、うろ覚えではありますが楽しく踊らせていただきました。それにしても「うちっちー」さん。どこぞの梨の妖精に追いつくんじゃあないかと思うくらい、出張が増えてきましたね。いや、可愛い女性声優さんとの触れ合い率で言えば、梨の妖精にも勝るのではないでしょうか。

 

さすが「うちっちー」!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!

 

 いつか、私の住む町の耳がレンコンになったゆるキャラや、納豆の妖精との絡みも期待しております…。

 話をライブに戻しましょう。皆で音頭を踊ったら告知が入りました。そこでは、アニメ2期の番宣だけなく、新作のゲームに絡めたμ'sとAqoursの絡みが見れたのです!しかも、18人全員登場、DAY2に至っては18人みんなで「にっこにっこにー!」をやる豪華仕様でした。これについては賛否両論あるのですが、私としてはμ'sの物語がまだ続いている事を強く感じられたので良かったと思っています。それに、アニメや漫画と違ってμ'sとAqoursが同世代。ストーリーが気になって仕方がありません。楽しみです。

 DAY2の告知では3rd ライブツアーの発表がありました。2ndの終着点だったメットライフドームが、3rdでは出発点となるようです。実に魂が揺さぶられる展開ではありませんか。これまた楽しみです。

 

 告知の後は、キャストの皆さまの感想が入ります。9人とも両日ともに素敵な話をされていたのですが、この場では2日目の中でお二方の挨拶を取り上げさせていただきたく思います。

 まずは、我らが堕天使あいきゃん。彼女は挨拶の時、大変に涙もろいのですが、今回もそれは健在でした。笑顔で、でも涙を流しながら何度も「付いて来てくれますか?」と訊いてくれました。強く言いたい。逆ですよ。こちらが「付いて行かせて下さい!」なのですよ。奇妙な感覚なのですが、彼女たちが全力でパフォーマンスをしているあの場にいるとエネルギーを頂けるのです。好きな漫画の台詞を借りるのであれば、「傷ついた体でも勇気が湧いてくる「正しいことの白」の中におれはいるッ!」という感覚になれるのです。そして、全力で応援したいと思えるものに出会えた幸福を感じられるのです。だからこそ、付いて行きたいと強く言えるのです。だから、心配せんでも我々は付いて行きますぜ!それにしてもあれですね。堕天使の泪は目に来ますなあ。ウルウルですよ。

 Aqoursのリーダー杏ちゃん「一緒に輝きを追いかけてくれますか?」と聞いてくれました。彼女の言葉はいつも力をくれます。ずっと怠惰な生き方をしてきた私でも輝くべきなのでは?」と思わせてくれます。正直なところ、今までの30年間堕落した生き方をしてきたと言っても良いような人間ですし、世界を比較的シビアに取らえる方(だと自分では思っている)ですから、正直なところ輝くことはかなり困難だと思っています。「三つ子の魂百まで」と言いますが、その10倍の時間をかけて悪癖を積んできてしまったので、それを払しょくするのは並大抵の技ではありません。

 Aqoursの皆様や、イラスト、音楽、ブログ等で輝こうとしている他のラブライバーの方々がプラチナ、もしくはダイヤルビィだとするならば、私はせいぜい「鉄」レベルでしょう。でも…、仮に「鉄」レベルにしかなれないとしても…、「鉄」であるのであれば変色してボロボロに朽ち果てる「酸化鉄」ではなく、鈍くても輝き、彼女たちが輝くステージや彼女達を運んできた機関車になり得るような「鋼鉄」でありたいと思えるようになりました。そうすれば、もしかしたら「鉄だからこそ出来る事」が見つかるかもしれませんし、場合によっては「99.999%純鉄」のような良い意味でヤバイものになれるかもしれません。こんな風に少しは前向きになれました。うーむ、やはりラブライブ!は素晴らしいですね。

 残る7人のMCもそれぞれの個性が輝く、泣けて笑えて盛り上がれて三拍子がそろった素晴らしいものでした。

 

 素晴らしいMCの後は「太陽を追いかけろ!」です。本ライブツアーでは定番となった曲ですが、埼玉公演では列車を模した大型トロッコを用いて披露されました。当然、鉄道が好きな私は大興奮です。このトロッコ「HAPPY」「PARTY」「TRAIN」「TOUR」の4台に分かれていて、その文字はキラキラと輝き、しかもソロパートのときには各人のイメージカラーになるという芸の細かさです。「太陽を追いかけろ!」が持つどんどんと前へ進めそうな力強い歌詞と、それを体現するキャストさんと、さらなる力添えをやってのける「スタッフさんの愛」のこもった舞台装置の組み合わせが、この曲をさらなる名曲へと進化させていたと思います。

 正真正銘のトリはDAY1がユメ語るよりユメ歌おう、DAY2が「Landing action Yeah!!」でした。ユメ語るよりユメ歌おうはアニメ1期のEDで、明るい気分でお開きに迎えられるラブライブ!サンシャイン!!には無くてはならない曲です。これから行われるファンミーティングのテーマ曲である「Landing action Yeah!!」は完全なる予想外のセトリで大いに驚きました。でも、これまた明るくて未来の展望を抱ける曲なので物凄く良かったと思います。また、アニメ2期という新しい未来が始まるタイミングで、1期と2期の橋渡しを行なうMIRAI TICKETが入るセトリでしたので、今後のAqoursの活動に繋がる曲が入ったのは必然だったのかもしれません。埼玉公演はこれから起こる未来への橋渡しという意味が強かった。私はそう考えています。

 

 すべての演目が終わり、Aqoursの皆様が帰られるときも大きな驚きが待っていました。何と、今まで彼女たちを運んできた機関車が再び登場したのです。そして、リアルな汽笛と一緒に蒸気が噴出し、Aqoursの皆様を載せた機関車は出発していきました。埼玉の次は沼津に帰還するということになっていましたが、まさか機関車で帰る演出があるとは!我々の予想をいともたやすく超えてくることには毎度のことながら脱帽です。さらに、Aqoursの皆様が帰った後、ステージの一部が緑に光りました。何だと思って光の先を見てみると、ドームの天井に「ご乗車ありがとうございました」の文字が!ここでも鉄道ファンを唸らせる演出があるとは!まったくもって鐡ライバー冥利に尽きるライブでした!ディ・モールト・ベネ!

 さて、ここまで私が頂いた感想を書き殴って参りましたがいかがでしたでしょうか。私がこのライブを物凄く楽しんだことが伝われば幸いです。そして、今後の展開もとても楽しみです。MCにて杏ちゃんが「びっくりさせてやるからなー!」と仰っていました。その言葉を励みに、次に見せてもらえるであろう「びっくり」楽しみに待ちながら、日常を頑張りたいものです。

 

ブログを開設してみたッ!

こんにちは。あに丸と申します。

 

この度は、趣味を楽しんでいる中で

「書きたいッ!」という気持ちにかられ

ブログを開設してみました。

 

このブログでは趣味に限らず書きたいという気持ちに従って、

書きたいものをかなりゆるりと

書いていこうかなとアバウトに考えております。

 

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

追伸:意気込みを一言と言われましたので一言。

「開設したからには何か書くぞッ!」